2013年8月30日金曜日

豆のぬいぐるみを買った顛末


 amazonでたまたま豆のぬいぐるみを見つけました。もともとディズニーの『トイストーリー』という映画に登場するキャラクターのようです。私はディズニーは好きではないし、その映画も見たことがないのですが、「丸い、ふわふわ、顔がある」という、夫が大好きな三要素を兼ね備えていたので、勧めてみました。夫は普段、娯楽的なものをほとんど買わないのですが、写真を見て気に入ったようです。私に「ところで、あのぬいぐるみは買ったの?12ドルくらいだから買えばええやん」と言うので、「欲しいなら自分で買えばいいのに」と言ったところ、「30のおじさんがぬいぐるみなんか買ったらおかしいやん。あなたが買って、わしにくれ」と言うのでそうしました。


豆の部分は取り出せます。用途はあまりよく分かりません。ファスナーもついていますが、愛玩用なので実用性はないものと思われます。夫は寸劇に使っています。


夫の緑のぬいぐるみです。とても大事にしていて、小さい子が遊びにきても、このぬいぐるみは出さず、ダミー(?)のボールのぬいぐるみだけを貸しています。



2013年8月29日木曜日

オンライン中古市場を利用するなら


「非常に良い」状態の本の例(背表紙が本文からはがれている)

 アメリカの店は広すぎて、品物は多いのに探している物は見つからない、ということがよくあるので、通信販売を利用する機会は日本にいるときよりも増えました。日本にいたときはamazonの他、ヤフオクを利用していました。アメリカでヤフオクに相当するのはebayオークションです。yahooでもオークションがあるのかもしれませんが、ebayの方が利用者が多いです。

ebayやアメリカのamazonマーケットプレイスで中古品を買うと、経験則では2~3割くらいの確率で不良品を送ってきます。50回以上の利用実績で、
  • 状態を「非常に良い」と書いているのに書き込み、汚れ、破れ等がある
  • 「新品同様」と書いておいて修理品を送ってくる
  • 「1級品」と書いておいて2級品(3回くらいあった)
  • 割れている
  • 写真に写っているのと別のものを送ってくる
  • 1ヶ月経っても届かない
等がありました。こういったことがある場合、届いた日のうちに写真付きで知らせて、返品、減額、交換などを要請するのですが、中にはひどい出品者もいて、「私が売ったものではない」とシラを切られそうになったこともあります。アメリカでの中古に対する評価が日本よりもかなり甘いのは、amazonマーケットプレイスと、ebayでの数十回の経験から実感しました。写真を撮って送るのも面倒だし、こんなキズがあった、と書くのもなんだか悪質クレーマーになったようで気分が良くないのですが、問題があったときは対応してくれます。日本のように「ノークレーム、ノーリターンで」と言うことは少ないです。

中古品を買うとき、その商品がいかに状態が良いか、ということよりも、細かく見ると新品と比較してどういう欠点があるか、ということを知りたいので、自分が出品する時はなるべくその点、詳しく書くようにしているのですが、とにかく売りたい!何か言われたらその時に対処すれば良い!という考え方なら、あまり欠点については書かないでしょうし、その方がよく売れるとは思います。マーケットプレイスやebayは商品の選択肢がリアル店舗よりも多く、安く買えるのでうまく利用すると便利です。ただし、不良品をかなりの頻度で送ってくるので、その時に対処できる程度の英語力と、携帯電話のカメラより性能の良いカメラは必要です。

2013年8月26日月曜日

日米の読書に関する統計



「『約3割のアメリカ人は高校卒業後、本を1冊も読まない』という統計がある」という話を聞いたので、少し興味を持って調べてみました。インターネット上に広く出回っている統計の主要な部分は、以下のようなものです。出典1 出典2
  • 1/3の人々は、高校卒業後死ぬまで1冊も本を読まない。
  • 42%の大学卒業生は卒業後、1冊も本を読まない。
  • アメリカの家庭の80%は、過去1年間に1冊も本を買わなかった、または読まなかった。
  • 過去5年間に一度も書店に行っていない成人は、全体の50%
  • 50%の成人は中学2年生レベルの本を読むことができない。
どうやって統計をとったのか疑問ですが、学校卒業後にまったく本を読まない人が3、4割もいるというのが本当だとすると、かなり驚きの数字です。

なお、関連する日本の統計はこちらにあります。この統計を見ると、本を読まないパーセンテージが一番高いのは60台以上で、「若者は本を読まない」とはいえません。また、30台以上だと、約4割の人が月に1冊も本を読みません。別の統計によると、子供よりも親の方が本を読まない割合が高いです。インターネット上で読書に関する統計を検索すると、なぜか「子供に本を読ませよう」という主旨のウェブサイトが多く検出されますが、自分が読まないのに子供に「本を読みなさい」というのは無理がある気がします。

出典が明記されていないので、使えない場合もあると思いますがStatistic Brainには、いろいろな統計がまとめられていておもしろいです。夫と英語のディスカッション練習をするとき、今までESLのディスカッション質問リストを使っていたのですが、このリストに書いてあるようなことを大人2人で議論するというのはかなりばかばかしく、退屈なので統計を見て話す方が良いかと思いました。

2013年8月22日木曜日

The Sandcastle(本)

【書誌情報】
Iris Murdoch, The Sandcastle, Chatto & Windus, 1957

【あらすじ】
パブリック・スクールのラテン語教師、ウィリアム・モーは妻、ナンとの間にドナルドとフェリシティという二人の子供があり、安定した生活を送るが、夫婦仲は良くない。モーは労働党から国会議員に立候補するという野心を持っていた。モーは、勤務先の元校長の肖像画を描くためにやってきた、若く才能ある画家、レイン・カーターに惹かれる。モーの思いは強く、妻や大学進学試験を控えた息子、まだ中学生の娘を捨ててレインと共に再出発したいと願うほどだった。

【コメント】
アイリス・マードックのThe Green Knightを非常におもしろく読みました。本書はマードックの小説の中では短くて、手軽に思ったので読みました。登場人物の微妙な心情が、絵画のような濃淡と精緻さを以て書かれています。

ラテン語教師、モーが恋をする才能ある画家のレイン・カーターは元校長、デモイト先生の肖像を描く仕事を依頼され、郊外のパブリック・スクールにやってきます。デモイト先生は、毒舌でアクの強い人物ですが、単なる頑固親父ではなく、意外と親切なところもあります。本書の中心人物のモーとレイン・カーターはそれほど個性の強いキャラクターではないのですが、モーの妻ナン、同僚教師、子供たちなど周辺人物の性格にはそれぞれ一癖あります。一部人物の行動と性格は、The Green Knightの登場人物にも承継されています。

バーン・ジョーンズ 'Vespertina Quies'Wikipediaより

バーン・ジョーンズ。Wikipediaより

レイン・カーターは高名な画家を父親に持ち、本書では学校生活、家族の問題を描写するほか、絵画に関する考察も随所に見られます。興味深く思ったのは、デモイト先生に肖像画のスケッチを見せ、「あなた自身に似ているね」と言われたレインの指摘です。
「画家はモデルの身体の部分にしばしば自分自身を描きこむものです。バーン・ジョーンズが描いた人々は皆、彼自身のように痩せていて憂鬱そうです。ジョージ・ロムニーはいつも自分自身の鼻を絵の中に複製し、ヴァン・ダイクは自身の手を描きました」
バーン・ジョーンズは、写真を見ても好男子とは思えませんが、彼の描く穏やかで美しい女性の顔には、言われてみれば彼自身の姿がかすかに反映されているように思いますし、「ジョージ・ロムニーの描く鼻は皆同じ」というのは例えばこのウェブサイトを見るとよく分かります。レイン・カーターがイギリスの画家にばかり言及しているのもおもしろいです。

ヴァン・ダイク「自画像」Wikipediaより




手の画像はヴァン・ダイクの肖像画の部分図です。ヴァン・ダイク自身が女性的な手の持ち主ですが、自画像の下はすべて別の女性を描いているところ、どれも同じように見えます。

マードックの小説は、饒舌で、複雑、哲学的もしくは神学的な記述もあり、登場人物も多く(本書はそれほどではありませんが)、読みやすいとは言えません。The Green Knightは面倒さを超越したおもしろさがありましたが、本書については私の英語力のなさのせいもあってやや「読む面倒さ」が本としてのおもしろさを上回っているように感じました。妻との仲に失望した男性が、若い娘との恋愛に夢中になるものの、女性たちの方が一枚上手であった、というところに溜飲が下がりますし、ラストはなかなか感動的です。単なる個人的な趣味の問題ではあるのですが、他人の不倫には興味がわかず、たとえ文学として巧妙に書かれていたとしても、どうにも居心地が悪いです。『イタリアの女』を読んだときも思いましたが、アイリス・マードックは長編を20以上書いているので敢えてこれを読まなくても良かったかもしれない、と思いました。

2013年8月20日火曜日

Fahrenheit 451(本)



【書誌情報】
Ray Bradbury, Fahrenheit 451,Ballantine Books, 1953

【あらすじ】
いっさいの本の所持、読書が禁止されているディストピア。この世界では、消防士の役割は消火ではなく、焚書である。消防士ガイ・モンタグは焚書の仕事に日々勤しんでいたが、自然を愛する少女、クラリースと出会ったことから、本が禁止された世界に疑問を抱き始める。モンタグの妻、ミルドレッドは三方の壁に大型スクリーンの取り付けられた部屋に入り浸って始終テレビ番組を視聴し、番組の登場人物を「家族」と呼んでいる。情報を得る手段はテレビとラジオのみのこの世界では、本を持っている人は隣人に密告され、逮捕される。モンタグは、蔵書を燃やされるくらいなら自分も死ぬ、と言って燃え盛る火に飛び込む婦人を見て衝撃を受ける。

【コメント】
レイ・ブラッドベリーは、Wikipediaによると、「ファンタジー、社会批評、サイファイ、ホラー、ミステリ」を著した作家です。本書は「サイファイベスト100」などでも上位に挙がることが多い、中編です。

本が禁止され、人々がテレビ漬けになった世界が舞台です。1950年代に書かれたので、インターネットはありません。そこで放映されるテレビ番組は、ストーリーなどがあるわけでもなく、登場人物が単に意味のない議論をしているだけですが、主人公モンタグの妻、ミルドレッドのようにこの世界に順応している人にとってはテレビの登場人物こそがリアリティです。本当の家族のことよりもスクリーンの「家族」を心配し、夫とどこで出会ったかすら覚えていません。人々の頭の中は徹底的にテレビ番組に侵食され、思考停止してしまっています。

焚書が仕事のガイ・モンタグは人間らしい少女クラリースとの出会いによって、この世界の異常さに目覚めます。モンタグは、禁止されている本をひそかに自宅に収集していました。閉鎖されたリベラル・アーツ・カレッジ(大学の教養学部)の元教授、フェイバーとも出会い、世界を変えたいと願うようになります。

本が禁止される世界なんて考えたくもないですが、現実よりも虚構にリアリティと魅力を感じるというのは、私にもちょっと他人事とは思えず、怖いところがあります。テレビこそ見ないものの、インターネットにアクセスしない日はほとんどありません。夫とは仲良く暮らしている方だと思いますが、それでも食事中にどちらかがipadを覗き込んで、他方の不興を買うこともあります。もし、食堂にテレビを置いていたら、二人とも釘付けになってまったく話さないと思います。何年も一緒に生活していれば、話すことがなくなるので、当然といえば当然です。本書で、「ストーリーがなく意味のない議論をしているだけ」という人々は、なんとなく現代のSNSに通じるものがあるように思います。

「テレビによる文化の破壊」というテーマ自体は深淵ですが、結末は残念です。夫は「アクションとかサイファイなんて、マッチョと戦って、爆発して、命からがら無傷で逃げ出して、主人公は爆発のなごりを背景に女の子とキスして終わるもんやで」と言いますが、ほぼその通りのエンディングでした。

本を読むにしろ、読まないにしろ、女性の主要登場人物は結局全員死にます。対して、死んだ男性は本は有害だと語り、モンタグを逮捕しようとしたモンタグの上司だけです。モンタグが川を下ると、十二使徒の名前の文学者たちが火に当たっているところを見つけます。彼らは皆男性で、かつては名だたる大学で文学研究などをしていました。学者たちが言及する過去の作家や学者なども専ら男性に限られます。モンタグが目覚めるきっかけを与えたのは少女クラリースだったのに、女性は皆死んでしまい、新しい世界はホモソーシャルというのはどうも納得が行きません。本書が発表された当時は性別役割分担が現在よりも厳格だったのだろうとは思いますが、それでも、テレビに毒され過ぎて思考停止してしまったのは女性、消防士は男性、学者は男性、とはっきり区別され、女性は死んでしまうというのは違和感があります。

【補足】
英語の先生と本書についてディスカッションしたところ、先生は「クラリースは死んでいないと思います」とおっしゃっていました。クラリースの一家は政府に危険と見なされ、モンターグが殺されたと報道されたのと同様に「死んだ」という噂が流されただけだろう、とのことです。たしかにその方が納得がいきます。

2013年8月19日月曜日

デダム陶器(コンコード焼)


ボストン美術館蔵
 ナサニエル・ホーソーンやエマーソン、『若草物語』の作者L.M.オルコットが暮らしたコンコードへ行きました。コンコードは歴史のある街で、レキシントン・コンコードの戦いは独立戦争の契機となりました。現在は、大きな邸宅が立ち並ぶ、裕福な住宅地です。秋に一時帰国するため、日本へのお土産を買う必要があったので、行ってみました。

ところで、ボストン周辺の名物といえば、
などがあります。ロブスターは持参できないし、ナンタケット・バスケットは高すぎます。そこで、デダム陶器がお土産に適当だろうと思いました。

デダム陶器はアメリカのアーツ・アンド・クラフツ期にマサチューセッツ州デダムで創業した陶器の会社です。表面の釉薬に細かい貫入のある、白地に青で絵付けが施された陶器を製作しました。芽キャベツの茂みの間にウサギが丸くなっている、「デダムのウサギ」が代表的なパターンです。他に、ゾウ、イルカ、カエルなどの動物や、植物のパターンもあります。なお、デダム陶器は1943年に閉鎖され、現在生産されているのはデダム陶器のリプロダクト品で、オリジナルではありません。オリジナルは美術館に所蔵されるくらいなので、非常に高価ですが、リプロダクト品も結構なお値段です。


リプロダクト品の生産が主にコンコードで行われているためか、日本語では「コンコード焼」と呼ばれているようです。雅子妃が皇太子とご結婚の際に、皇室に持参なさったとかで、日本人の間で人気のあるお土産品のようです。

絵皿はちょっと手が出ない感じだったので、小さなウサギの置物を買いました。ウサギの一家のようにして飾るとかわいいですが、1個ずつ、別の方に差し上げるつもりです。お店は小さく、他のお客さんもいませんでした。なかなか「日本人好み」という感じですし、話のタネに良いかと思います。

2013年8月18日日曜日

「涼味数題」寺田寅彦

広重「月の岬」
【書誌情報】
『寺田寅彦随筆集 第四巻』小宮豊隆編、岩波書店、1948年
青空文庫
 
【概要】
「涼しさ」に関する寺田寅彦の考察。

【コメント】
ボストンは今年の7月は暑くて湿度も高い日が多かったですが、8月に入った途端に秋のように涼しくなりました。日本は猛暑で大変と聞いています。お大事にお過ごしください。

日本の夏は暑いですが、私には日本の夏の風物や、「夏を涼しげにする工夫」が好ましく感じられます。たとえば朝顔、花火、かき氷など。アメリカにも朝顔や花火はありますし、アイスクリームも人気のあるお菓子ですが、特に涼しさを感じるものではありません。寺田寅彦は「涼味数題」で「暑さのない所には涼しさはないから、ドイツやイギリスなどでも涼しさにはついぞお目にかからなかった」と書いています。ニューイングランド地方でもそこまで暑くなることは少ないし、暑い時期が短いためか、「涼しげ」と感じるものは少ないです。

寺田寅彦が思う「涼しい情景」は以下のように描写されます。
「…港町の宿屋に、両親に伴なわれてたった一晩泊まったその夜のことであったらしい。宿屋の二階の縁側にその時代にはまだ珍しい白いペンキ塗りの欄干があって、その下は中庭で樹木がこんもり茂っていた。その木々の葉が夕立にでも洗われたあとであったか、一面に水を含み、そのしずくの一滴ごとに二階の燈火が映 じていた。あたりはしんとして静かなやみの 中に、どこかでくつわ虫が鳴きしきっていた。(中略)この、それ自身にははなはだ平凡な光景を思い出すと、いつでも涼風が胸に満ちるような気がするのである。」
「…店とはいっても葦簾囲よしずがこいの中に縁台が四つ五つぐらい河原の砂利じゃりの上に並べてあるだけで、天井は星の降る夜空である。それが雨のあとなどだと、店内の片すみへ川が侵入して来ていて、清冽せいれつ鏡川かがみがわの水がさざ波を立てて流れていた。電燈もアセチリンもない時代で、カンテラがせいぜいで石油ランプの照明しかなかったがガラスのナンキン玉をつらねた水色のすだれやあかい提燈ちょうちんなどを掛けつらねた露店の店飾りはやはり涼しいものであった。」
2番目の引用は幼少期を過ごした高知で、近所の川べりに夏になるとぜんざいや氷を売る小さなお店が出た、という思い出を書いています。自分の子供のころの夏祭りの縁日や、夕方に「やな」に行ったことなどを思い出しました。ビーズのすだれ(のれん)は画像検索すると、昭和レトロというか、少し古くさく野暮ったく見えるのですが、寺田寅彦の文章を読むと俄然、すてきな物のように思えます。

夏祭りの縁日的なものは、夜に見るとあやしげな雰囲気があり、魅惑的ですが昼に見ると安っぽさが目立ちます。渡米する前、夫と夏祭りに行ったのですが、まだ明るい夕方のうちに行って、混雑する前に帰宅しました。でも、夕方から十分混雑し始め、それでいて明るいのでお祭りらしい雰囲気は味わえず、結局埃と混雑を堪能しただけでした。こういうのは大人になってしまうとあまり楽しめないのかもしれません。

8月の花・ハナショウブ

暑いとき、花を飾ってもすぐにしおれてしまうのでもったいないですが、ボストンは8月に入ってからは涼しく、日々の最高気温も28℃前後なので、ハナショウブを飾りました。ハナショウブは5月にも飾りましたが、この付近で花屋さんに行っても、いつも扱っている花の種類が少ないし、あまり変化もありません。

花を買ってくると、一応Wikipediaで分類などを調べます。観賞用の花で毒があるものは意外と多くて、ハナショウブの毒性についての記述はありませんでしたがアヤメには毒があるようです。

花を選ぶとき、色が数種類あるとつい白を買ってしまいますが、白い壁に白い花は映えません。開ききる前の花はなんとなく和ろうそくを思わせます。アイリス類は和服の柄などにもよく用いられ、日本的な花だと思いました。

2013年8月16日金曜日

エリザベス・ボウエン『愛の世界』

Giovanna Garzoni 左の虫はハチかも?

【書誌情報】
エリザベス・ボウエン、『愛の世界』、国書刊行会、2008年

【あらすじ】
アイルランドの朽ちた屋敷に、フレッドとリリアのダンビー夫妻と二人の娘が住んでいる。20歳になる長女のジェインは、屋根裏部屋で「G」と署名のあるラブレターの束を発見する。「G」はリリアの婚約者で、第一次世界大戦で戦死したガイの頭文字であることが判明する。婚約者を喪ったリリアを気の毒に思ったガイの従妹のアントニアは、庶出の従兄、フレッドとリリアを結婚させ、ガイの遺産である屋敷に夫妻を住まわせ、アントニア自身も時にその屋敷に滞在した。手紙に導かれてアントニア、リリア、ジェインの思いは過去と現在を行き来する。

【コメント】
本書に挟まれたリーフレットには、エリザベス・ボウエンが「ヴァージニア・ウルフ、アイリス・マードック、ドリス・レッシングに並ぶ、20世紀イギリス最高の女性作家」である由、書かれています。英文学ファン(?!)としては押さえておくべき作家だろうと思いました。せっかく日本から持ってきたのに、いつまでも本棚に積読しておくのももったいないので、読んでみました。

しかし、これまで何度か読もうとしていつも数ページ読んでやめてしまっていたのは、読書メーターやamazonのレビューでも指摘されているとおり、訳文の読みにくさが原因です。あまりにも読みにくいので、自分の日本語能力が途方もなく下がったのかと思いました。原文直訳調なのだろうと思いますが、むやみと倒置法を多用していて、登場人物たちの台詞の言葉遣いも不自然です。小説としてはおもしろいのに、文章がぎくしゃくしていて作品世界に入り込めません。本書を読んで、作風自体は好きな感じだと思ったので、ボウエンの他の小説は原書で読むことにします。

食べ物にハエがたかる描写が繰り返し登場します。「戦死してしまったガイが生きてさえいれば、何もかもがもっとうまくいって、私はもっと幸せだったはず」という思いを、リリアは別の人と結婚して子供が大きくなっても、抱き続けています。おそらく最初は新鮮だったその思いが、時の経過にしたがい、徐々に腐ってハエがたかるほどになってきたことの象徴だろうか、と思いました。舞台は田園地方なのに、一家が住んでいる屋敷は古くて手入れが行き届いておらず、全体によどんだ雰囲気が漂っています。それはいがみ合っているわけではないけれど、あまり仲良くもなく、お互いにやや冷淡なダンビー一家の関係性の反映なのかもしれません。

手紙は焼かれ、最後は飛行場のシーンで終わります。淀んだ空気を突き抜けるようなラストで、登場人物の行く先に希望が持てる余韻を残していて爽快でした。

2013年8月13日火曜日

夏目先生と寺田先生

8月12日の投稿の続きです。夫曰く、「おっさん二人で見ず知らずの女性の見た目についてどうこう言うなんて最悪やな」。確かに…

『柿の種』寺田寅彦

本文とは関係ありません

 【書誌情報】
寺田寅彦、『柿の種』、岩波書店
青空文庫版

【概要】
明治の物理学者、寺田寅彦の随筆集。

【コメント】
寺田寅彦は理化学研究所の研究者であり、同時に随筆家でもありました。本書と、Wikipediaなどの記事からうかがい知れる寺田寅彦はだいたい以下のような人物です。
  • 物理学科出身
  • 芸術にも造詣が深い科学者
  • 絵も描く 
  • 意外とお茶目
  • 音楽好きで、ヴァイオリン、チェロを演奏した
  • 猫が好き
  • 植物好き
  • ふわふわ好き
おお、なんと我が夫のようではないか!!「ふわふわ好き」というのは、たとえばこのようなエピソードがあります。
「まんじゅうをふかして売っている露店がある。
蒸籠せいろから出したばかりのまんじゅうからは、暖かそうな蒸気がゆるやかなうずを巻いて立ちのぼっている。私は、そのまんじゅうをつまんで、両のてのひらでぎゅっと握りしめてみたかった。そして子供らといっしょにそれを味わってみたいと思った。
まんじゅうの前に動いた私の心の惰性は、ついその隣の紙風船屋へ私を導いて、そこで私に大きな風船玉を二つ買わせた。」
 夫は丸いものやふわふわしたものが大好きで、買い物に行ってクッションや枕を見ると脊髄反射的に反応します。上の文章には親近感を覚えました。

エッセイには少しずつ温度差があり、温かく、ユーモラスなものと、やや冷たく、シニカルで衒学的なものがあります。後者は少ししょっぱいように感じられ、私は彼のユーモラスな、もしくはやさしさが表れている文章の方が好みです。

また、師であった夏目漱石と街で見た婦人について、こんな描写をしています。
「…先生と二人で出かけた時に、われわれのすぐ前の席に、二十三、四の婦人がいた。きわめて地味な服装で、頭髪も油気のない、なんの技巧もない束髪そくはつであった。色も少し浅黒いくらいで、おまけに眼鏡めがねをかけていた。しかし後ろから斜めに見た横顔が実に美しいと思った。インテリジェントで、しかも優雅で温良な人柄が、全身から放散しているような気がした。
音楽会が果てて帰路に、先生にその婦人のことを話すと、先生も注意して見ていたとみえて、あれはいい、君あれをぜひ細君にもらえ、と言われた。もちろんどこのだれだかわかるはずもないのである。(中略)
それはとにかく、この問題の婦人の顔がどこかレニのマリアにも、レーノルズの天使や童女にも、ロゼチの細君や妹にも少しずつ似ていたような気がするのである。 」
「ロゼチの細君」はエリザベス・シダルのことです。今読んでいる漱石の『草枕』にも「ミレーのオフェリヤ」への言及が数ヶ所あります。座っているだけで文学者二人の注目を集めた、しかも地味だという件の女性がどんな容貌だったのか、気になるところです。

グイード・レーニ「マグダラのマリア」

ジョシュア・レノルズ「天使の頭部」

ロセッティ「エリザベス・シダル」

寺田寅彦は1935年に亡くなっています。全体的に温厚な筆致で書かれているものの、終盤近くなると戦争への不穏な予感も見て取れます。


2013年8月11日日曜日

Kindleのカバー、PDF化



Kindleは、ずっと夫のお下がりの黒いカバーを使っていました。しかし、私は整理が悪くて、財布やカメラなど、持ち歩く小物が黒だといつも探し回るハメになります。黒くて四角いものは他にもたくさんあるので、視界に入っていても認識しにくいようです。先日、旅行した時に、Kindleを荷造りした記憶がなく、「Kindleホテルに置いてきてしまった気がします」と言ったら、夫が「わしがスーツケースに入れておいたから大丈夫やで」ということがあって、一瞬ヒヤッとしました。夫が気を付けていてくれたので、なくすことはなかったものの、黒いカバーだとホテルの部屋で忘れ物はないかと見渡しても、見落とすと容易に考えられます。財布やカメラは色を赤やシルバーに変えると、探し回ることは少なくなりました。Kindleにも安い赤いカバーを買いました。

私の持っているKindleは今となっては古いバージョンなので、合うカバーの選択肢は少なめでした。けばけばしい色で、それなりに安っぽいですが、実用性重視です。ここまで派手なら見落とすこともないでしょう。最近は青空文庫のテキストをPDF化して、日本語の本も読みます。気に入っているのは泉鏡花です。日本の電子書籍ももっとコンテンツが増えるといいなと思います。青空文庫のPDF化はこちらを使っています。PDFはきれいに出力され、青空文庫のテキストファイルをオンラインで、PCディスプレイで読むよりも読みやすいです。

ラリックの化粧瓶



今年30歳になります。この年齢になって、結婚して○年経つのに子供がいないとか、就業していないとか、帰国したら30過ぎでなんの資格も特技もなく再就職を探さないといけないとか、いろいろ思うところはあります。そんなことを考えているだけでは前に進めないし、めでたい気持ちはありませんが、とりあえず散財の口実にはなります(なりません)。

ラリックの小箱(私は空のままにしておくつもりですが、パウダーケースとしてデザインされているのだと思います)を買いました。まわりにはアヒルが一周しています。白鳥の湖なら優雅ですが、アヒルの池だとユーモラスです。ボストンのパブリック・ガーデンはロバート・マックロスキーの『かもさんおとおり』に因むアヒルの銅像があります。銅像系観光名所のご多分に漏れず、結構な「がっかり観光地」であると思いますが、何かの記念日などがあると、そのコスチュームを着せられ、いつも観光客で賑わっています。

パブリック・ガーデンのアヒル(生きている、銅像ではない)
瓶はウォルトのJe Reviensという香水のもので、もともとはラリックが同じくウォルトの「Dans la Nuit(夜に)」という香水のためにデザインしたようです。

ラリック「ダンラニュイ」

ボトルの大きさ、色、星の数、栓のデザインに何種類かあります。上の画像のバージョンは東京都庭園美術館の香水瓶の展覧会で展示されていました。星空にひかれ、展示の中でも私はこれが特に好きでした。でも、青い色のボトルは数百ドル~数千ドルする好事家向けで、とても手が出ません。私が買ったのは、おそらく20世紀半ば頃に普及していた、はるかに安価な瓶です。色からしてまったく「夜に」という感じではないし、星の数も少なく、オリジナルの雰囲気がかなり薄まってしまっていますが、別物と思えばこれはこれで良いものです。

2009年に新美術館でラリック展を見て、翌年には庭園美術館の香水瓶展に行きました。新美術館のラリック展も充実した展示で、すばらしいものでしたが、香水瓶展の方が強く印象に残っています。やはり建物の効果なのだと思います。庭園美術館にあると、展示品が3割増し良く見える、と言われているようです。美術館へ行って幸せな気分になった後、きれいな庭を散策したり、外観もすぐれた建物を見ると展覧会のことがしっかりと記憶に焼き付いて、「あの展覧会はどこの美術館で見たんだっけ?」ということがなくなります。

2013年8月7日水曜日

Lizzie Siddal: Face of The Pre-Raphaelites(本)

Regina Cordium, by Rossetti

【書誌情報】
Lucinda Hawksley, Lizzie Siddal: Face of The Pre-Raphaelites,Walker & Company, 2004

【あらすじ】
J.E.ミレーの「オフィーリア」のモデルとなった、ロセッティ夫人エリザベス・シダル(1829-1862)の生涯。エリザベス(リジーと呼ばれていました。リジーはエリザベスの呼び名)・シダルは帽子屋で働いているところをロセッティの同僚、デヴァレルに見出され、ラファエル前派のお気に入りのモデルとなる。画家、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティと婚約したリジーは詩と絵画の才能を発揮し、ラスキンの後援を受ける。しかし、病弱なリジーはアヘンチンキに依存するようになる。

【コメント】
ラファエル前派兄弟団」は19世紀半ばのイギリスの画壇のアカデミズム偏重に反発して結成された若い画家たちのグループでした。ラファエル前派の画家として、ロセッティ、ホルマン・ハント、J.E.ミレー、バーン・ジョーンズなどが知られています。また、ウィリアム・モリスはデザイナーですが、ラファエル前派と近しい関係にありました。

ラファエル前派の画家たちは、街へ出て自分たちの好みに合う少女をモデルとしてスカウトしました。そうしたモデルは労働者階級の出身であることが多かったのですが、相応の教育をほどこされて、画家の愛人や配偶者となりました。本書で扱っているエリザベス・シダルもその一人です。

Walter Deverell, Twelfth Night
貧しい刃物師の家庭の出身でしたが、赤毛の堂々とした容姿と淑女のような身のこなしのリジーは、帽子屋で働いていたところ、画家のデヴァレルにスカウトされます。リジーの最初の仕事は「十二夜」のヴァイオラ(左、赤い服)のモデルとなることでした。リジーはホルマン・ハントやミレーのモデルもつとめました。

J.E.Millais, Ophelia
中でも、ミレーの「オフィーリア」はリジーがモデルをつとめた作品の中で一番有名だろうと思います。この作品のモデルとなったとき、リジーはバスタブに浸かって臨場感を出したそうですが、途中でバスタブを温めていた火が消えてしまいました。ミレーは気付かず、リジーも申告しなかったので体調を崩しました。


ラファエル前派の画家の中で特にリジーに執心していたのはロセッティでした。イタリア系であったロセッティは自身を詩人のダンテと重ね、リジ-のことを自分にとってのベアトリーチェと考えました。リジーはロセッティの専属モデルとなり、二人は婚約しました。リジーに絵画の才能があると考えたロセッティは、自ら彼女を手ほどきしました。当時、画壇で影響力があったラスキンは金銭的にリジーを援助しました。帽子屋の売り子から、モデル→収入のある画家となったことは、極めて幸運なことでした。著者によれば、リジーは正式な絵画の教育も受けていないし、大変に才能があるとも言えず(彼女の作品を見ると私も同感です)ラファエル前派とのコネクションと自身の魅力によって幸運をつかんだようです。

ロセッティとリジーの婚約期間は8年間にも及びました。ロセッティは相応の収入がないことを結婚を先延ばしにする口実としていましたが、実際には他のモデルたちとも愛人関係があったことと、そもそも婚姻関係を結ぶこと自体に消極的であったことが原因のようです。リジーは結核に感染していた、と書かれている文献もありますが、本書ではそれは否定されています。

アヘンチンキは当時、乳幼児から大人まであらゆる世代の様々な症状の緩和に使用され、処方箋なしに簡単に入手することができ、安価でした。毒性については理解されていませんでした。帽子屋で重労働を強いられたリジーは、最初背中の痛みを和らげるためにアヘンチンキを服用していました。リジーは病弱でしたが、本書では心理的要因に由来するものだっただろうと指摘されています。「やりたくないことをやると具合が悪くなるが、いつだって本当にしたいと思うことはできた」と書かれています。婚約者であるロセッティを愛人から取り戻すため、頻繁にひどい体調不良を訴えたり、手紙に書いたりし、ハンガーストライキを起こしました。その度にロセッティは仕事を中断してリジ-の元にとんでいき、するとリジーは回復するのでした。当時、女性が一度誰かの愛人となってしまうと、別の人と結婚できる可能性はほとんどなく、ロセッティとの不安定な関係で抑鬱状態にあったリジーはアヘンチンキの鎮静作用に頼っていました。

ジェーン・モリス
 ロセッティとリジーが結婚する直前にウィリアム・モリスとバーン・ジョーンズは後にモリス夫人となるジェーンを見出します。ジェーンはロセッティのモデルとなり、二人は不倫関係に陥ります。夫の不倫に気付き、死産したことを失望してもいたリジーは、32歳で大量のアヘンチンキをあおって亡くなりました。遺書もあり、自殺と取れる死でしたが、自殺は違法でその場合教会の墓地に埋葬されることができなかったので、遺書は燃やされ、関係者は自殺でなかったと証言しました。そうしたところ、「ロセッティがリジーを殺害した」という噂が流れました。噂の張本人の一人はオスカー・ワイルドでした。


妻の死を嘆き、生前の自分の振る舞いを後悔したロセッティは最高傑作と言われる「ベアータ・ベアトリクス」を描きました。でも、同作品の最終バージョンでは、ベアトリーチェの容貌はやはりジェーン・モリスに似ていると言われています。また、ロセッティはリジーの柩に自作の詩の原稿を収めて埋葬しましたが、後にこれを取り出すために、お墓を掘り返しました。


エリザベス・シダルはかなり特徴のある容貌で、万人が認める美人というわけではありません。にもかかわらず、筆者は「最初のスーパー・モデル」と評しています。私も彼女の独特の雰囲気のある、病弱で繊細な容貌には魅力を感じます。上の画集はロセッティによるリジーのスケッチばかりを集めたもので、美しいです。白黒印刷のみですが、基本は単色のスケッチなので問題ないと思います。

著者のルシンダ・ホークスレーはディケンズの直系の子孫だそうです。本書は、どの登場人物にも、肩入れもせず、突き放すでもなく、うまく距離をとって書かれていて読みやすいです。ロセッティとリジーは共に芸術的才能があったけれど、気まぐれで我儘な性格などが似ていたようで、もう少しお互い相手に寛大になるとか、我慢すれば幸せに暮らせたのではないかと思います。また、アヘンチンキがいかに恐ろしい薬かということもよく分かります。ロセッティもまた、リジーの死後約四半世紀後に、アルコールと薬物中毒で亡くなっています。

なお、来年1月には六本木で「ラファエル前派展」が開催されるそうです。残念ながら私は行くことができませんが、「オフィーリア」も来るそうです。

2013年8月6日火曜日

バトラー・マクック邸(ハートフォード)


写真はハートフォードの美術館の庭に設置されている噴水です。夫は噴水を見ると必ず遊びます。噴水の所で撮った写真には、全部夫が写っていました。赤いよくわからないものにはまったく芸術性が感じられません。街中にこういった大きく醜悪なオブジェを設置するのは心底やめてほしいです。


噴水といえば、このように小さめのものが好みです。魚はイルカだと思いますが、想像上のイルカで、実際のイルカよりはシャチホコに似ています。ウェッジウッドの食器に見られる意匠で、ハプスブルク家のエリーザベト皇妃の紋章もイルカでした。

噴水でひとしきり遊んでから、バトラー・マクック邸へ行きました。マクック家はハートフォードの名士だったようです。家は豪邸というほどではありませんが、19世紀後半~20世紀のニューイングランドの良家の人々の暮らしぶりを垣間見ることができます。家の中は写真撮影はできませんでした。


庭に植えられていたとても大きなヒイラギの木です。ガイ・バートの『ソフィー』という小説で、姉弟がヒイラギの木の中に隠れ家を作って遊ぶシーンがあります。『ソフィー』はミステリアスな作品で、一度読み始めると止まらなくなりますが、そのシーンは特に印象に残っています。この木は、ちょうど中に子供2人くらいなら入れそうな空間があって、『ソフィー』を思い出しました。ヒイラギの花は地味ですが、キンモクセイやクチナシよりも香りが良いと私は思います。ただし、ヒイラギは似た種類が多くて分類が難しく、クリスマスの飾りにするセイヨウヒイラギは、赤い実がつくものの、花はあまり香りがないようです。この木がどんな種類なのか、私にはよく分かりません。

2013年8月4日日曜日

The Green Knight(本)

J.S.Sargent, 'The Misses Vickers'

【書誌情報】
Iris Murdoch, The Green Knight, Chatto & Windus, 1993

【あらすじ】
妻のルイーズと三人の娘、アレフ、セフトン、モイを遺して若くして亡くなった公認会計士のアンダーソンにはケンブリッジ大学時代からの友人で僧職を志すベラミー、舞台俳優のクレメント、その兄で学者のルーカスらがいた。ルイーズの女子校時代の友人ででファッション業界人のジョーンは息子ハーヴェイを友人に托してパリに暮らし、ベラミーらは父をなくした三人姉妹とハーヴェイの叔父替わりとなる。さらにゲイのカップル、アメリカにいるルイーズの友人家族等を交え、才能のある若きアンダーソン姉妹を中心とした総勢15人程度の友人サークルが形成されていた。ルーカスはクレメントの両親の養子だが、実子故に母親に可愛がられたクレメントをいつも陰でいじめ、学者として人々の尊敬を集め、中年に至ってから弟を暗闇で殺害しようとする。偶然通りかかった男に殺人を阻止されそうになったルーカスは弟を殺す替わりにその男をバットで撲殺する。「財布を盗られそうになったので殴った」と陳述し、正当防衛を認められたルーカスだったが、ロンドンの自宅に戻ると死んだはずの男が訪ねてきて、「自分は精神科医のピーター・ミアだ。私は目には目を、歯に歯を、という信条にしたがい復讐する」と宣言する。ミアの要請は金銭的補償などではなく、自分は天外孤独なのでアンダーソン姉妹らのサークルに自分を紹介して欲しい、というものだった。

【コメント】
アーサー王伝説に「ガウェイン卿と緑の騎士」という話があります。本書は緑の騎士伝説や、聖書の「カインとアベル」などを下敷きに、1990年ころのイギリスの知的階級を書いた長編小説です。
アイリス・マードックは日本でも1970年代ころにはそれなりに読まれていたようで、翻訳も10冊以上出版されていましたが、現在ではそのほとんどが絶版です。

カインとアベル

マードックは「饒舌」と評されるようです。本書は、はじめの30頁で100人(?)ほどの人物が紹介され、相互に絡み合って複雑な人間模様を呈します。登場人物全員が知的で、大なり小なりエキセントリックであり、しかもそれぞれの性格描写が際立っていて、キャラクターに魅力があります。美しくて才能ある十代の姉妹が中心のサークル、という設定からして興味をひかれます。

モーガン・ル・フェイ
 登場人物の一人、ベラミーは神父と文通し、神の存在や自分の信仰のあり方について問いかけます。三人姉妹はアーサー王伝説に登場する魔女、モーガン・ル・フェイとその妹たちに取材しているそうです。方々から石を収集して時にはそれに心があると考え、動物に執着を示す末娘のモイの行動は魔女のようです。謎の精神科医で大金持ちのピーター・ミアはいつも緑のコートを着て、緑の傘を携えた「緑の騎士」です。冷淡で性格の悪いルーカスに、弟のクレメントはずっと虐待され、最近殺されかかったのに、兄を慕うことを止めません。サークルの中でも際立って頭が良く、超然としたルーカスは、メンバーたちの畏怖と尊敬の対象でもあります。全編に聖書や伝説のテーマがちりばめられているので、それを分析することもできそうです。でも、深遠な会話が続いた後にはいつも意表を突く展開があり、エンターテインメント性も十分あります。クライマックスは、頭を殴られて心身に不調を来したミアが、登場人物ほぼ全員を招いて賑やかに快気祝いをするシーンです。パーティはアーサー王宮廷における緑の騎士のように、意外な人物の登場により中断されます。出席していなかった人たちについても、さらに驚くようなことが起こります。

固定電話
 携帯電話やメールが普及する前なので、通信手段として固定電話と手紙がクローズアップされています。小説に手紙がさし挟まれると、語りの視点が変わって奥行きが感じられます。時代設定はたかだか20年ほど前に過ぎないのに、終盤になって「ファックスはすばらしい機械だ」という台詞が見られ、妙に古めかしく思えます。クスッと笑えるのは、イギリスらしく人々は困ったときはまず紅茶を飲むことです。

文章の一つ一つに、「おもしろさ」が込められています。本を読んでも、いまいち楽しめないとか、合わないと思うことはよくあるし、読書などあまり日常生活の役には立たないことが多い気がします(もちろん、役に立つことのみが意味のあることではありませんが)。でも、こういう小説を読むと思いがけずご褒美をもらったようでうれしくなります。本書は500頁弱あり、読むのに2ヶ月もかかってしまいましたが、時間をかけてゆっくり味わう甲斐のある作品だと思いました。最後にはいろいろな恋が花開き、物事があるべき所に落ち着きつつも、未来への広がりを感じさせる結末となっています。

なお、トップ画像はサージェントによるヴィッカーズ姉妹の肖像画です。髪の色と目の色が、本書のアンダーソン姉妹と同じでした。

ウォズワース・アテナイオン美術館

館内の様子
 ウィーンのベルヴェデーレ美術館へ行ったときのブログ記事を読んだ親切な夫が「月初やからハートフォードの美術館行こか」と言ってコネチカット州、ハートフォードのウォズワース・アテナイオン美術館へ連れて行ってくれました。


美術館は3階建てですが、2階は半分以上が改装中でした。でも見たかったクリムトは展示されていました。この作品は、久世光彦の『聖なる春』に収録されていたのを10年以上前に見て、クリムトはこんな絵も描くのか、と意外でした。陶器かガラスでできているかのように硬質で美しく、ルネサンスと19世紀末がバランスよく混じり合っているようでもあり、ずっと見たいと思っていました。ハートフォードはコネチカットの州都ではあるものの、どちらかというと地方都市で、行く機会があるかしら、と思っていたので、見ることができて本当に嬉しかったです。


ウィーンつながりで、マイセンのウィーン工房製作の磁器の花籠です。花弁や雄蕊がリアルで、精巧に作られています。


 ホルマン・ハントの「シャロットの乙女」もあります。シャロットの乙女は城に幽閉されて織物を織って暮らし、外界との接触はなく、鏡に写る他の人々の姿を見るだけでした。ある日鏡に写ったランスロット卿に恋をした乙女は、城から出て舟に乗ります。そして舟の中で死にます。シャロットの乙女伝説はラファエル前派とその周辺の画家に特に好まれたテーマでした。私はラファエル前派の追っかけをしているので、この作品も画集などで何度も複製を見たことがありました。実物は縦が1.5メートル以上はある大きなものです。もつれた髪の毛と糸が、シャロットの乙女の情念と運命を暗示するようです。複製はいつも実物よりも小さいので、気付かなかったのですが


足元に脱ぎ捨てられている靴がおもしろいです。温泉でよくある下駄のような履物に似ています。絨毯の模様(シャロットの乙女のお手製?)や、柱の装飾などが凝っています。よく見ると、この織物の枠組みの柱は1本1本が異なる装飾なのでした。下駄にも彫刻が施されています。


レイトン卿の「ヘラクレスの死」の部分図です。ヘラクレスの頭のところにいる女の子がかわいいです。レイトン卿お気に入りのモデルだったコニー・ギルクリストでしょうか。ヘラクレスは力の強い英雄ですが、妻に浮気を疑われて自分の放った矢の毒に染まった服を着て死に、絵の中では少し女性的な姿に描かれています。


T.W.デューイングの「日々」は特に気に入った一枚です。パステルカラーで、ロマンチックな、かわいらしい作品です。


サージェントはやっぱりあります。サージェントは「誰にどんな服が似合うか」をかなり気にしていたらしいです。小学生以下の女の子は白いドレスが一番似合うと思います。



 ヴンダー・カンマーな展示。天井からハリセンボンが吊り下げられています。この美術館はハコは小さめですが、見たかったもの、自分の好みの感じのものが見られて良かったです。暑い中、200マイルも運転してくれた夫に感謝します。

オマケ 英語の先生のために買ったお土産