The Year of the Flood(本)

バビロンの空中庭園
【書誌情報】
Margaret Atwood, The Year of the Flood,Bloomsbury Publishing, 2009

【あらすじ】
Oryx and Crakeで、疫病を生き残ったスノーマンがラストシーンで見た、焚火のまわりの三人は誰だったのか?
巨大な権力を持つ、悪の中枢のごときコープスコーに支配される世界。豪奢な生活を送る科学者たちのコンパウンドとは対照的な、貧しいプリーブランド出身のトビーは不幸ないきさつで両親を亡くす。原材料不明の肉を使用する怪しげなバーガーショップ、シークレットバーガーに勤め、そのサディスティックな経営者のブランコに無理やり愛人にさせられる。命の危険を感じたトビーは逃げ出し、アダム・ワンが率いる菜食主義者のカルト集団、「神の庭師たち」に加わり、屋上の菜園の庭師となる。「神の庭師たち」は農産物の自給自足や廃物利用で暮らし、アダム・ワンは「人類を破滅させる、ノアの洪水の再来のような第二の洪水に備えよ」と説く。トビーはそこでカリスマ的なゼブや、少女レンと出会うが、ブランコが自分を追っていると知り、逃れて高級スパのマネージャーとなる。母親がゼブと駆落ちしたことにより幼少期に「神の庭師たち」に加わったレンは、後に母親に連れられてコンパウンドに戻るが、長じて「鱗と尾」に就職し、鱗の着いた全身タイツを着て空中ブランコに乗るコールガールとなる。そこでレンはクレイクやオリクスと出会う。

【コメント】
マーガレット・アトウッドのサイファイ三部作、MaddAddamシリーズの、Oryx and Crakeに続く第二作です。本作の主人公はコンパウンドで科学者の子息として物質的には不自由なく成長したジミー(スノーマン)とは反対に、貧しい地域でカルト宗教団体に所属するトビーとレンという二人の女性です。各章はアダム・ワンのスピーチ、トビー視点からの回想、レンの語る回想という構成になっています。はじめはOryx and Crakeと同じ時期の、別の場所での関係ない登場人物たちの物語のようですが、話の進行に従って徐々に前作の登場人物たちが顔を出し、最後はOryx and Crakeのラストにぴったりと重なります。前作よりも読みやすいとはいえ、アトウッドの英語は難しく、描かれる「世界の終わり」はなかなかに悲惨です。しかし、本書を最後まで読むと、前作で曖昧だった部分や、見えなかったものが、異なる角度から見ることによってくっきりとした輪郭や色彩、立体感を帯び、緻密で奥行きのある世界が立ち上がるような思いがします。

スケールの大きな世界と、細部とをバランス良く書き込んでいて破綻がなく、絵画の傑作を見たときのような感動をおぼえます。おもしろい細部の一つは、聖書への直接的な言及です。カルト宗教団体の庭はディストピアにおけるユートピアであり、庭師たちは廃屋の屋上に菜園を耕作してEdencliffと称し、集団内の指導的な立場にあるメンバーに「アダム/イヴ・番号」という称号が与えられます。屋上菜園は私にはエデンの園だけでなく、バビロンの空中庭園をも思わせました。トビーはアダム・ワンの説く「神の庭師たち」の教義に疑問を抱いていますが、回想の中では、庭は楽園なのでした。

サイファイ的な小道具として、遺伝子操作により創造された異様な動物たちや、カニバリズム、顔まで隠れる鱗付きの全身タイツなどがあります。特に印象的だったのは、トビーが卵子提供をするシーンです。文学で(文学以外でも)女性がギリギリまで困窮すると売春するというのはよくあることで、実際、本書のもう一人のヒロインであるレンはコールガールとなりますが、トビーは最終手段として卵子を提供し、摘出手術に失敗して「あなたはもう妊娠・出産はできません」と言われます。最近はインターネット上でも、あたかも手軽に一定のお金を得る手段であるかのように卵子提供がさかんに宣伝されていて、見る度に違和感という以上のものがあるのですが、現代社会こそがサイファイじみているのであって、アトウッドは今のこの世界と充分つながりのある世界として、本作を書いたのだろうと思いました。ありそうもない物事の隙間から時折顔を出すリアリティにひやりとします。行き過ぎた遺伝子操作や殺し合いゲームの観戦なども本当はそこまで「ありそうもない」ことではないのかもしれません。

トビーはやや皮肉な視点を持った知的な現実主義者で、レンは無垢で子供っぽい少女です。二人の対照性は文体の違いにもあらわれていて、トビー視点の物語は三人称で客観性があり、レンの物語は語彙もあまり洗練されていない、子供らしい語り口の一人称です。いずれも、教育があるものの、錯乱ぎみのスノーマンの語りとも、やたらと壮大なことを言うアダム・ワンの説教とも違っていて、使い分けが興味深いです。この世の終わりにおける、二人の心理の機微は精密に書かれていて、方向性の異なる女性らしさがうかがわれます。レンの母親のルサーン、レンの友達で抜け目ない美人のアマンダ、庭師仲間のヌアラや、ジミーのルームメイトでもあったバーニスなど、複数登場する女性キャラクターがそれぞれに個性的で、女の見本市(?)の様相を呈しています。クレイク、スノーマン、アダム・ワン、ゼブ、ブランコ等々のキャラクターも立っていますが、性格描写は女性たちと比べると粗いように思います。共通点のほとんどないトビーとレンですが、トビーはストーカーから身を隠すために(整形)、レンは面識のある人々から逃れるために、また顔が認識されることによる危険を避けるために(鱗スーツ)アイデンティティを隠します。アマンダは「生き延びるために、IDを捨てた」と述べており、女性のアイデンティティ問題も本書のテーマの一つとなっています。アトウッドはフェミニストらしいので、この点について分析するのも意味がありそうですが、分析はさておき、私はトビーが頭に羊の毛を植える整形をし、羊の臭いにひかれて、朝、目が覚めたら猫が頭を舐めていた、というのがユーモラスだと思いました。

英語のレッスンの課題図書として読んだので、先生にいろいろな言葉遊びについて教えて頂きました。たとえば
  • CorpSeCorps 表向きは会社(corporation)の結合体だが、恐怖政治により死体(corpse)を大量生産しているという裏の意味がある
  • painball paintballという実在するゲームをもじっている。作品中では死刑囚が殺し合い、人々がテレビでその様子を観戦するというもの
  • Rejoove co. rejuvenate「若返らせる」に由来
  • Anoo Yoo A New Youをもじっている
などです。

日本語訳は出版されていませんが、本書を読むと『オリクスとクレイク』がいかにもやもやした雲をつかむような話だったことか、と思うのでぜひとも2巻以降の出版が必要と思います。

三部作完結編のMaddAddamを読書中です。疫病によって人々が死に絶え、スノーマン、「神の庭師たち」と新人類クレイカーが生き残った世界で何が起こるのか、楽しみです。一緒に読んだ夫のレビュー

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