2014年2月25日火曜日

歌う指揮者



ボストン交響楽団のコンサートへ行きました。プログラムは
  • ドヴォルザーク「ロマンス」
  • ドヴォルザーク ヴァイオリン協奏曲
  • ベートーヴェン 交響曲第3番
で、ソリストはアンネ・ゾフィー・ムターでした。せっかくのムターでしたが、席は前から三列めの袖の方だったので腕しか見えませんでした。ドヴォルザークの三楽章がキレの良い演奏で、非常に良かったです。

指揮者はよく見える席でした。今回の指揮者のマンフレート・ホーネックはオーストリア出身でもとヴィオラ奏者でした。ホーネックの指揮はエレガントで、映画に出てくる19世紀のダンスのような動きをするし、指揮棒が魔法にかかったかのようになめらかに動いて、見ている分には美しいです。でも、力が入りすぎると(?)低く歌う、というかうなるのが気になりました。もっと後ろの方で聴けば聴こえなかったのかもしれませんが、私の座っていた席からだとよく聴こえすぎて、集中が削がれました。コンサートに行って、スコアに書いてある以外の音は聴きたくないかもしれません。とはいえ、やはりベートーヴェンはライヴで聴くと感動もひとしおです。改めて聴くと、転調がおもしろい音楽で、BSOの演奏はピアニシモが繊細ながらはっきり聴こえたのが印象的です。

2014年2月23日日曜日

フォンダンショコラ

 
とけたチョコレートのタンク
"I like our new lettering," he said thoughtfully. The words "Stewart Ansell" were repeated again and again along the High Street—curly gold letters that seemed to float in tanks of glazed chocolate.
(Edward Morgan Forster, The Longest Journey)
バレンタインデーにフォンダンショコラを焼きました。以前作ってお弁当に入れたら、夫から「チョコレートケーキがうますぎて、もう生きていけない」(?)というメールをもらったからでした。フォンダンショコラのレシピはいろいろありますが、その多くはチョコレートケーキを生焼けで食べる感じで、抵抗があります。このレシピは、ケーキ生地とガナッシュを別仕立てにしているので、ケーキ部分にしっかり火が通るかと思って、これを使いました。小さいラメキンで作りました。

フォンダンショコラは焼きたてを食べて、溶けたチョコレートが出てくるところに特徴がありますが、夫は冷やした方が好きだと言うので、冷やして出しました。手作りチョコレートは嫌厭される向きも(たしかに、とかして固めただけのはイヤ、というのは分かります。溶かさない方がおいしいです)チョコレートケーキなら喜んでもらえるかも?!

引用はE.M.フォースターの『果てしなき旅』の一部分ですが、これは結婚に失敗する話で、バレンタインデー向きのラブストーリーとしては同じ作者の『眺めのいい部屋』の方が良いと思います。なお、「とけたチョコレートのタンクに渦巻いた金色のレタリングが浮かんでいるような」表札は、信じられないほど悪趣味だと主人公は評しています。

2014年2月22日土曜日

ラファエル前派の画家とモデル 番外編 エレン・テリー


Ellen Terry (1847-1928)
俳優一家の次女として生まれる。8歳で舞台にデビューし、16歳の時、30歳上のジョージ・フレデリック・ウォッツと結婚した。しかし、1年経たないうちに建築家のゴドウィンと駆落ちし、舞台女優として復帰した。ヘンリー・アーヴィングの相手役として、シェイクスピアのヒロインをよく演じ、その演技には定評があった。ルイス・キャロルやジョージ・バーナード・ショーらの文化人と交流があった。

【モデルとなった作品】
G.F.ウォッツ「テリー姉妹」個人蔵、1863年
G.F.ウォッツはピアノ職人の子として誕生し、王立美術院に学びました。「三美神」の一人、アグライア・コローニオの父であったA.C.アイオニデスの庇護の下、肖像画家として活躍し、ヴィクトリア朝のさまざまな著名人や、上流階級の人々を描きました。PRBの一員ではありませんでしたが、エレンと結婚した1860年代には、豊かな色彩や官能性の強調など、ロセッティの影響を受けた作品を描きました。左はエレンの姉のケイトです。この肖像画を描くうちにウォッツはエレンに恋をし、結婚しました。エレンはウォッツの芸術と、優雅な生活スタイルに感銘を受け、既に画家として成功していた彼と結婚することで、両親を喜ばせようと考えたようです。

ルイス・キャロル「マリオンとフローレンス・テリー」
数学者・作家であったルイス・キャロルが少女との交流を好む一方、成人女性は苦手としていたことは有名ですが、エレン・テリーとは彼女が大人になってからも親しく交際していました。エレンの2人の妹を撮影した写真は、ウォッツが描いた姉二人の肖像画を模倣しています。

ルイス・キャロル「エレン・テリー」
 ウォッツとの短い結婚生活の間に、エレンはグラッドストーンやディズレーリら政治家のほか、テニスン、ブラウニングらと知り合いました。ウォッツの作品により、エレンは後期PRBの画家や、オスカー・ワイルドらの唯美主義者にとって憧れの的となりました。

ウォッツ「花選び」国立肖像画美術館、1864年
本作は、特にロセッティの影響が強いといわれています。エレンは、ホルマン・ハントがデザインしたウェディングドレスを着ています。香りを嗅いでいるのは、見た目は華やかでも匂いのない椿で、心臓の近くに、花は小さく地味であるものの、香り高いスミレの花を持っています。これは、エレンが舞台女優という、華やかな虚飾の世界を捨て、地味であっても芸術家の夫人として尊敬される生活を選択することを意味しています。
エレン・テリーの憂わしげな表情が美しく、好きな作品ですが、私は演劇が虚飾だとか、絵画よりも芸術として劣るとも思わないし、そういった旧弊な女性観が作品に込められているのかと思うと、自分の家に複製を飾りたいような一枚ではないな、という気がします。

ジュリア・マーガレット・キャメロン「エレン・テリー」
エレンとウォッツは芸術家たちのパトロンであったプリンセプ夫妻のもとに滞在しました。写真は、プリンセプ夫人の姉であったジュリア・マーガレット・キャメロンが撮影しました。

J.S.サージェント「マクベス夫人を演じるエレン・テリー」テイト美術館、1889年
マクベス夫人のドレスのデザイナーは、「鎖帷子のように、しかもヘビの鱗のように見せたかった」と記しています。製作者は、ボヘミア製の、緑色の絹と青い金属箔が織り込まれた糸を使用して生地を作り、さらに緑色に光るカブトムシの羽が縫い付けられました。エレンが羽織るマントには真っ赤なグリフィンが刺繍されていました(出典)。絵に描かれたポーズは実際の舞台では行われませんでしたが、サージェントの作品からは強烈な衣装の輝きが分かります。ポーズ、衣装ともにマクベス夫人の性格を如実に伝えるものだと思います。キラキラ光るドレスは観客に強いインパクトを与えたことでしょう。エレンは絵や写真で一枚一枚異なる表情を見せていますが、「画家(写真家)のモデル」としてではなく、「偉大なる舞台女優エレン・テリー」本人として描かれて(撮影されて)いるところがすごいと思います。

【その他】
J.E.ミレー「ポーシャ(ケイト・ドーラン)」メトロポリタン美術館、1886年
  • J.E.ミレーによる「ポーシャ」は長い間エレン・テリーを描いたものであると信じられていましたが、別人であることが判明しました。顔立ちがエレンとはまったく似ていないのに、そう信じられていたのは不思議です。「ポーシャ」はミレーがPRBと訣別し、大衆受け路線を邁進するようになってから描かれたもので、その画風は同様にシェイクスピアのヒロインを描いた「オフィーリア」と同一人物が描いたとは思えないほどです。出典
  • バーナード・ショーは「エレン・テリーとは、世界で最も美しい名前だ。19世紀の終わりの25年間を通じて、 鐘の音のように鳴り響いた」と評しています。
  • ウォッツは69歳の時、35歳の相手と再婚しました。
  • エレンは3回結婚し、結婚以外でもたくさんの恋愛をしました。
  • エレンとゴドウィンとの間の息子、ゴードン・クレイグは舞台装置のデザイナー、舞台監督となり、娘のイーディスも舞台で活躍した他、婦人参政権運動に参加しました。
  • イラストレーターのヘレン・クレイグはエレンの曾孫に当たります。
「ラファエル前派の画家とモデル」は今回で終了です。まとまりのない話に長々とお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

2014年2月21日金曜日

ラファエル前派の画家とモデル 14.エマ・マドックス・ブラウン


Emma Madox Brown
フォード・マドックス・ブラウンはラファエル前派(以下「PRB」)のメンバーではないものの、モデルも含む、PRB関係者、特にロセッティと親しかった。エマは、労働者階級の出身で、妻を亡くしたマドックス・ブラウンの内縁の妻として長期間過ごした後、結婚した。

【モデルとなった主な作品】

マドクス・ブラウン「イギリスの見納め」バーミンガム美術館、1855年

マドックス・ブラウン「かわいい仔羊」バーミンガム美術館、1859年

「あなたの息子です、旦那様」テイト美術館、1856年
上の三つの作品はエマがモデルとなりました。マドックス・ブラウンはPRBを語る上で無視できない画家です。特に、「英国の見納め」は彼の代表作とされています。男性のモデルはマドックス・ブラウン本人です。船に乗って、オーストラリアへ移住する場面を描いています。奥さんの帽子のリボンや、柵に吊るされたキャベツの描写がリアルです。

マドックス・ブラウンの作品を見ると、PRBの他の画家ほど作品の完成度が高くないのでは?と思ってしまいます。人物の顔色が不自然で美しくないし、表情や姿勢もなんとなく変です(たとえば、新生児をこんなふうにむんずと掴んで差し出すのはそうとうに不自然ではないでしょうか)。PRBの画家はいずれ唯美主義的な性格を持っていますが、マドックス・ブラウンは唯美主義立場はとらず、風刺を重視していて、作品にはグロテスクさすら感じられるからかもしれません。

ロセッティ「エマ・マドックス・ブラウン」
 このスケッチは、ロセッティからマドックス・ブラウン夫妻への結婚祝いでした。エマは労働者階級出身で、教育がありませんでしたが、可憐な美少女でした。アルコールを飲みすぎるという欠点があり、マドックス・ブラウンとは概ね仲が良かったものの、口論が絶えませんでした。しかし、親切でバランスの取れた性格で、神経質で気難しいエリザベス・シダルの良き友人でした。

【その他】
  • エマの継娘(マドックス・ブラウンと先妻との子)のルーシー・マドックス・ブラウンと、娘のキャサリンも画家です。さほど有名ではありません。
  •  孫のフォード・マドックス・フォードはマドックス・ブラウンの伝記を著しました。非常にたくさんの著作があるのみならず、The English Reviewを創刊し、ハーディ、H.G.ウェルズ、ヘンリー・ジェイムズ、ジョセフ・コンラッドらの小説を出版しました。


ラファエル前派の画家とモデル 13.エフィー・ミレーと妹たち


Euphemia(Effie) Millais (nee Gray1828-1897)
スコットランドの富裕な弁護士・商人の長子として生まれる。19歳でジョン・ラスキンと結婚するが、モデルをつとめたことによりJ.E.ミレーと知り合う。ラスキンとは成就されない結婚、あるいは「白い結婚」だったため、婚姻の無効を申し立てて認められ、ミレーと結婚した。ミレーとの間に8人の子供がある。エフィーと子供たちはしばしばミレーの作品のモデルとなった。
日本語Wikipediaもご参照ください。

ミレー「ソフィー・グレイ」
Sophie Caird (nee Gray 1843–1882)
エフィーの14人の弟妹の一人で、グレイ夫妻の10番目の子。15歳上のエフィーはソフィーにとり、第二の母親のような存在だった。姉エフィーがミレーと知り合うと、ミレーのモデルをつとめるようになった。ソフィーとミレーは互いに愛情を抱いていた可能性があり、夫と妹が親密になりすぎることを懸念したエフィーが、ソフィーを夫妻の家から遠ざけたともいわれた。しかし、ソフィーとエフィーは終生、仲の良い姉妹だった。20台半ば頃に精神状態が拒食症に陥り、精神状態が悪化した。30歳の時、工場主のケアド氏と結婚し、女の子が一人生まれたものの、幸せな結婚ではなかった。孤独な晩年を過ごし、38歳で亡くなると、死因は「消耗と神経機能の退化」とされたが、自殺したという噂が消えなかった。

ミレー「アリス・グレイ」

Alice Gray Stibbard(1845–1929)
ミレーはアリスをモデルにスケッチや肖像画を描いた他、5枚ほどの作品のモデルとした。

【モデルとなった主な作品】
J.E.ミレー「釈放命令、1746年」テイト美術館、1852年
本作のため、エフィーははじめてミレーのモデルをつとめました。1745年にジャコバイト蜂起に参戦し、服役していたスコットランド兵と恋人が再会するシーンを描いています。兵士の恋人は看守に保釈命令を見せています。しかし、もともとは「身代金」というタイトルで、習作段階では彼女はお金の入った袋を持っていました。彼女の表情は不可解で、その動作は心ここにあらず、といった様子です。兵士を救うために自分の貞節を犠牲にしようとしているのかもしれません。ミレーはラファエル前派の信念にしたがい、本作の細部を緻密に描きました。ジャコバイトの着ているキルトのタータンチェックや、眠っている少女のドレスの模様も、調査に基づいています。子供が持っている花は、若さの象徴です。この子供のモデルにポーズをとらせるにあたり、ミレーは大変な苦労をしたようです。出典

J.E.ミレー「落葉」マンチェスター美術館、1856年
 黒い服を着ている少女たちのうち、左がアリス、右がソフィーです。ラスキンは本作を「黄昏を完璧に描写している」と評しました。エフィーは、ミレーが「主題のない、美しい絵」を描くことを意図していた、と記しています。ソフィーとアリスは上等な生地の、中産階級の服装ですが、ほかの二人の少女は労働者階級の粗末な服で、実際に労働者階級出身の少女がモデルとなりました。唯美主義の最初期の作品の一つとされています。ミレーの作品によく見られる、美と若さのうつろいやすさを表現しています。一日の終わり、一年の終わりの季節、枯葉、煙は生のはかなさと不可避な死をあらわします。一番幼い少女が持っているリンゴは、「知恵の実」と楽園追放とつながり、幼少期の無垢の喪失の暗示であるかもしれません。ミレーは、「この作品の厳粛さにより、深い宗教的な思考を呼び覚ます」ことを意図していました。出典

J.E.ミレー「春または花盛りのリンゴ」レディ・リーヴァー美術館、1859年
秋の作品があるなら、他の季節は?というと、春の作品があります(同様に夏と冬を描いたものはないようです)。ミレーはこの2枚を対になる作品と考えていた可能性もあります。一番左の少女がソフィー、黄色い服を着て寝そべっているのがアリスです。リンゴが花盛りの野原で、クリームの入ったボウルを囲む少女たちは、ヴィクトリア朝の一般的な服装をしており、リアリズム表現とも言えますが、本作も「落葉」と同様に、生の無常さを暗示しています。右手には死の象徴である鎌が配置されています(骸骨が大鎌をふるう、というのはよくある死神の表現です)。花は散り、秋になると夏の草が刈られ、若さと美しさには終わりが訪れます。本作の自然描写はミレーの最初期の作品(「オフィーリア」など)ほど念入りではありませんが、ラスキンの「写実的な自然」という信条を体現しているといえます。出典

ミレー「ツバメよ、ツバメ」個人蔵、1864年
モデルはアリスで、19歳でした。本作はテニスンの詩、「姫君」の一場面を描いています。恋患いの語り手は、ツバメに「私の愛する人の所へ行って、彼女をくどいてくれ」と言います。ここに描かれているのは語り手の恋人で、ツバメには気付いていない様子ですが、ツバメの伝言に応えます。手に持っている白いバラは、彼女の清らかさを示すものでしょう。エフィーがラスキンとの婚姻無効の手続きをする間、ミレーは2年間ほどエフィーに会えず、本作にはその体験が反映されています。出典

J.E.ミレー「ソフィー・ケアド」1880年
ミレーによる、ソフィーの最後の肖像画です。描かれたときは30台半ばだったはずですが、若い頃の面影はなく、実際の年齢よりも老けて見え、寂しそうな表情をしています。病気と、不幸な結婚生活で消耗した彼女の姿は見ていて悲しいものがあります。

【その他】

  • 結婚後、ミレーは大家族を扶養するためにラファエル前派の芸術的理念とは合致しない、大衆受けする作品を量産するようになりました。エフィー・ミレーは夫の有能なマネージャーで、絵の主題についてミレーと共に決めることもありました。
  • 2008年に、ある婦人が子供のころに誕生日プレゼントとして贈られ、何十年も屋根裏部屋でホコリをかぶっていた上の絵を鑑定に出したところ、ミレーによるエフィーの肖像画であると判明したそうです。
  • 今年5月に、エフィー、ラスキン、ミレーの関係に取材した映画、Effieが公開されます。小説が原作で、エマ・トンプソンが脚本を書き、ダコタ・ファニングがエフィーを演じています。
  • ラスキンはエフィーとの結婚が無効となった後、ローズ・ラ・トゥーシュという十代の少女と知り合い、婚約しましたが、ローズの両親が結婚を認めませんでした。ウラジーミル・ナボコフの小説、『ロリータ』はラスキンとローズとの関係からも着想を得ているそうです。
  • ミレー夫妻の末の息子は、著名な鳥類画家のジョン・ギル・ミレーです。

2014年2月20日木曜日

ラファエル前派の画家とモデル 12.スパルタリ姉妹


ジュリア・マーガレット・キャメロン撮影

Marie Spartali Stillman (1844-1927)
ギリシア系の富裕な貿易商の娘としてロンドンに生まれる。絵画の才能を発揮し、1864年から数年間、フォード・マドックス・ブラウンに師事。マリーは同じくギリシア系のマリア・ザンバコとアグライア・コローニオと共に「三美神」と称されたほどの、長身の美人だった。家族の反対を押切り、アメリカ人のジャーナリスト、スティルマンと結婚して、夫共々ロセッティのモデルをつとめた。イギリス及びアメリカの展覧会に定期的に出品し、ラファエル前派の女性画家としては、イーヴリン・ド・モーガンと並び高い評価を得ている。

ジュリア・マーガレット・キャメロン撮影

Christine Spartali ド・カーエン伯爵夫人(1845?-1884)
ホイッスラーの「陶磁の国の姫」のモデルをつとめた。伯爵と結婚した。

【モデルとなった主な作品】
ロセッティ「フィアンメッタのヴィジョン」個人蔵、1878年
親しい友人であったマドックス・ブラウンの元へ評判の美人が弟子入りしたことを知ったロセッティは、「ぜひともマリー・スパルタリを描きたい」とマドックス・ブラウンへ打診しました。フィアンメッタはボッカチオのミューズの偽名で、彼の複数の作品に登場します。「フィアンメッタ」は「小さな炎」という意味なので、ここでの彼女は炎のようなオレンジ色のドレスを着ており、頭上に赤い鳥が描かれています。額には、ボッカチオのソネットとロセッティ自身によるソネットが記されています。本作はラファエル前派作品の熱心なコレクターである、作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーが所有しています。

ロセッティ「草地の休憩所」1872年
 ツィターを爪弾くブルネットの女性がマリーで、その隣の赤毛の婦人はアレクサ・ワイルディングです。ロセッティの作品で、田園風景を描いているのは本作のみのようです。赤と緑の衣装の、座っている人と踊っている人たちがバランス良く配置され、音楽の和声を思わせます。習作段階では、音楽の象徴的な表現として、二人の間に小鳥を持っているケルビムが描かれていました。背景の野原を走っている人と、右上に描かれている建物が、謎めいた、シュールレアリスティックな効果を生んでいます。出典
本作は視覚的効果を重視した音楽の表現であり、楽器を演奏したり、踊ったりするには極めて不自然な姿勢です。音楽と踊りがある場合、踊りがメインで前面に出ることが多いと思うのですが、本作はダンサーがバックになっているのがユニークです。観客として眺めているのではなく、舞台裏に視点があるかのように、演奏者の背後から描かれており、全員が体をひねり、それぞれ別の方向を見ているのがおもしろいです。

なお、ロセッティがマリーをモデルに描いた作品はスケッチなどを含まずに3枚はありますが、クリスティーンをモデルに描いたものはないようです。出典

バーン・ジョーンズ「水車」ヴィクトリア&アルバート美術館、1870年
左手で踊っている3人のモデルは、左からマリア・ザンバコ、マリー、アグライア・コローニオです。とはいえ、私には右側の女性も含め、ほとんど同じ顔に見えます。バーン・ジョーンズは本作の製作にあたり、ボッティチェリの「春」やピエロ・デッラ・フランチェスカを参照し、完成までに12年を要しました。バーン・ジョーンズらしい、穏やかな、夢のような雰囲気があります。デイヴィッド・セシルは「慎重に呼び起こした、哀愁に満ちた白昼夢の表現であるかのようだ」と評しています。出典

ホイッスラー「陶磁の国の姫」フリーア美術館、1865年
クリスティーンは「当時の画家の誰もが描きたがっていた、ギリシア系イギリス人の美人」でした。
ホイッスラーはラファエル前派ではありません。当時としては前衛的であったラファエル前派を評価し、庇護者であった批評家、ラスキンですらホイッスラーの作品は酷評し、ホイッスラーは名誉毀損であるとしてラスキンを訴えました。ホイッスラーは西洋人の女性がキモノを着ている姿を複数の作品に描いています。本作は何度も描き直され、モデルにとっても、長時間ポーズをとらなくてはならない、骨の折れる仕事だったようです。出典
ホイッスラーはクリスティーンの父のスパルタリ氏からの依頼で本作に着手しましたが、スパルタリ氏は出来に満足せず、代金を支払いませんでした。左上にホイッスラーの大きなサインがあったために、購入を検討していた別の人も、入手を断念したことから、以後、ホイッスラーは小さな、蝶の形のサインを用いるようになりました。本作は、現在ワシントンDCのフリーア美術館内にある、「孔雀の間」に展示されています。「孔雀の間」は青と金の、オシャレなのか悪趣味なのかよくわからない内装で、注文主とホイッスラーとの間で一悶着あったそうです。出典
ジャポニスムの流行に乗った一枚ですが、日本人からすると、「日本風味の珍妙ななにか」という感じです。最近製作された日本を舞台とした映画などを見ると、21世紀になっても、西洋人にとって「伝統的な日本」はホイッスラーの絵に描かれたまま、変わっていないようだと思います。

【その他】
マリー・スパルタリ・スティルマン「自画像」
  • A.C.スウィンバーンはマリーを初めての印象を、「彼女が非常に美しいので、私は座って泣き出したいほどだった」と記しています。
  • マリーは遺言に、「遺す所有物も金銭もないのに、遺言をするのも馬鹿げたことですが…」と書いていますが、彼女の作品群は6億9000万ドル以上の価値があるものと見積もられています。作品の多くはズッカーマン・ロドリゲス財団が所有しています。

2014年2月19日水曜日

ラファエル前派の画家とモデル 11.ジュリア・スティーヴン


Julia Prinsep Stephen (1846-1895)
インド生まれ、父はジャクソン医師、母はヴィクトリア朝上流階級の美人姉妹として名高い、パトル姉妹の一人、マライア。叔母に写真家のジュリア・マーガレット・キャメロン、いとこに画家のヴァレンタイン・プリンセプがいる。弁護士のダックワース氏と結婚したが、死別し、歴史学者のレズリー・スティーヴン卿と再婚した。スティーヴンとの間の娘は、画家のヴァネッサ・ベルと作家のヴァージニア・ウルフである。

【モデルとなった作品】
バーン・ジョーンズ「ドラゴンの元へ連れていかれるサブラ姫」1866年
 ジュリア・スティーヴンは美人で名高く、英語Wikipediaには
「ラファエル前派や、伯母ジュリア・マーガレット・キャメロンら初期の写真家たちのモデルとしてヴィクトリア朝社会に足跡をのこした美貌の一族の出身である」
との記述があります。
バーン・ジョーンズは神話や伝説に取材した作品を多く描きました。聖ジョージとサブラ姫の伝説を題材とするものも、10枚は下らないようです。マリア・ザンバコをモデルに描かれた魔女や、情熱的な女性像とはうって変わって、サブラ姫はいずれの作品でも清楚な姿に描かれています。

バーン・ジョーンズ「くじを引くサブラ姫」ハノーヴァー大学、1866年
 「くじを引くサブラ姫」については、ジュリア・スティーヴンがモデルとなったという資料は見つかりませんでしたが、バーン・ジョーンズの描く女性は誰もが似ています。白い服を着た数名の乙女たちという主題は「黄金の階段」でも扱われています。「欺かれたマーリン」や「フィリスとデモフォーン」はドラマチックで、バーン・ジョーンズの代表作といわれるのはそれらの作品だと思います。しかし、彼の静謐で穏やかな画風には、上のような、緊張感がありつつも全体としては静けさの感じられるような主題、あるいはキリスト教的な主題が合うような気がします。

バーン・ジョーンズ「受胎告知」
 バーン・ジョーンズは「受胎告知」も複数のヴァージョンを描いています。本作は、ボッティチェリなど、ルネサンスの画家の影響を受けています。彼はステンドグラスのデザインも手がけたところ、この「受胎告知」は細長い構図がステンドグラスを思わせます。聖母マリアは、自分の運命を決定するできごとに遭遇し、おそれを抱いているかのように、ドレスの裾を握りしめています。背後のアーチのレリーフは、アダムとイヴの楽園追放の様子です。バーン・ジョーンズは天使の服のドレープに見られるように、線の表現には入念でしたが、空間表現はややおざなりで、遠近法は不完全です。また、光と影の表現も行われておらず、画面全体が均一な光で照らし出されています。バーン・ジョーンズの目的はリアリティや臨場感を描き出すことではなく、詩情や精神性の表現でした。鑑賞者は聖なるものとの隔たりに思いをはせ、マリアの抱く畏怖の念を共有することが意図されています。出典
不完全な空間表現や、均一な光の照射が、却って静かで、神秘的な効果を生んでいる一枚であると思います。

ジュリア・マーガレット・キャメロンは娘からカメラを贈られたことをきっかけに、プロの写真家となり、親戚や知人に中世風の衣装を着せて、アーサー王伝説などをテーマとする写真を撮りました。姪のジュリアは、キャメロンお気に入りのモデルでした。写真を見ると、ジュリア・スティーヴンがバーン・ジョーンズの作品そのままの、端正な美人であったことが分かります。

【その他】
  • ヴァージニア・ウルフの小説、To the Lighthouse『灯台(燈台)へ』のラムゼイ夫人のモデルはジュリア・スティーヴンです。ウルフの回想記、『存在の瞬間』にも登場し、ウルフにとって母親が非常に重要な存在であったことが分かります。
  • ジュリアは看護の技術があり、看護に関する文章も書いたようです。
  • 娘のヴァネッサ・ベルは画家ですが、ラファエル前派とは異なる画風です。ヴァネッサの孫のヘンリエッタ・ガーネットはラファエル前派のモデルたちに関する、Wives and Stunners:The Pre-Raphaelites and Their Musesの著作があります。

2014年2月17日月曜日

ラファエル前派の画家とモデル 10.マリア・ザンバコ


ロセッティ「マリア・ザンバコ」

Maria Zambaco (1843-1914)
裕福なイギリス系ギリシア人の商人、カサヴェッティの娘としてロンドンに生まれる。スレイド美術学校でロダンに師事し、彫刻家となった。マリア・ザンバコの作成した4枚のメダルが大英博物館に所蔵されている。1860年にザンバコ医師と結婚し、フランスへ移住したが、結婚生活はうまく行かず、ロンドンへ戻った。1866年にバーン・ジョーンズと出会って恋愛関係となり、二人は駆落ちを試み、マリアは自殺未遂騒動を起こした。二人の関係は1870年代初頭まで続き、恋愛関係が終わっても、マリアは魔女、誘惑者のモデルとしてバーン・ジョーンズの作品に登場した。

【モデルとなった主な作品】
バーン・ジョーンズ「キューピッドとプシュケ」クレメンス・セルス美術館、1870年

ロセッティ「柳」デラウェア美術館、1871年
マリアの母、カサヴェッティ夫人は、バーン・ジョーンズにマリアをモデルとしてプシュケを描くように依頼しました。キューピッドは幼児の姿で描かれる場合と、少年~青年の姿で描かれる場合とがあります。通常、恋人のプシュケと共に描かれる場合はプシュケの恋人にふさわしい青年の姿ですが、この作品では若い女性のプシュケの隣に、その子に見えるような赤ん坊のキューピッドが描かれているのが珍しいです。「柳」はロセッティがジェーン・モリスを描いた一枚です。色遣いや女性のポーズ、構図などが似ていると同時に、バーン・ジョーンズとマリア・ザンバコ、ロセッティとジェーンとの関係も相通じるものがあり、描かれたのもほぼ同時期なので、二つの作品の関係が気になるところです。


バーン・ジョーンズはマリアを描いた非常に繊細な、たくさんのスケッチをのこしています。

バーン・ジョーンズ「欺かれたマーリン」レディ・リーヴァー美術館、1877年
マリアとの恋愛関係が破綻すると、バーン・ジョーンズはマリアを魔女、誘惑者として描くようになりました。アーサー王伝説に登場する魔法使いのマーリンは、若い恋人である湖の乙女(名前はエレイン、ニムエ、ヴィヴィアン、ニニアン等あるようですが、ここでは「ヴィヴィアン」と表記します)にすべての魔法の知識を教え、ヴィヴィアンはマーリンをサンザシの木の中に閉じ込めます。ヴィヴィアンは頭に蛇をかぶっています。ロセッティのファム・ファタルであったジェーン・モリスが夫に幽閉される存在として「トロメイのピア」や「ペルセポネ」に描かれたのに対し、ここでは女性の方が力を失った男性を閉じ込める側になっているところが興味深いです。マーリンとヴィヴィアンには、バーン・ジョーンズとマリアの関係も投影されているのかもしれません。

バーン・ジョーンズ「フィリスとデモフォーン」バーミンガム美術館、1870年

バーン・ジョーンズ「フィリスとデモフォーン」レディ・リーヴァー美術館、1882年
デモフォーンは王女、フィリスと婚約していましたが、色々な用事を片付けるために結婚する前に故郷に戻りました。恋人の留守が長いので、戻らないものとして絶望したフィリスが自殺すると、哀れに思った神が彼女をアーモンドの木に変えました。デモフォーンが戻ってきて、後悔して木を抱くと、アーモンドに花が咲き、フィリスが現れて恋人を許しました(ギリシア神話)。バーン・ジョーンズはギリシア神話に取材した作品を好んで描きました。オヴィディウスやチョーサーがフィリスとデモフォーンについて書いていますが、それらによるとフィリスはアーモンドの木の中から現れたわけではなく、バーン・ジョーンズの独自の解釈です。絵には二つのヴァージョンがあり、上は水彩、下は油彩です。水彩の方はデモフォーンが素裸なので、当時センセーションを巻き起こしました。どちらの作品でも、フィリスに突然抱きつかれたデモフォーンは、驚いて逃げ出したさそうにも見えます。バーン・ジョーンズの描く女性は、慎ましやかでやさしげな、穏やかな印象の人が多いですが、シドニアやヴィヴィアン、フィリスのような能動的な女性像もあり、おもしろいです。


【その他】
  • ギリシア系の名高い美人で、従姉妹のマリー・スパルタリ・スティルマン、アグライア・コローニオとともにギリシア神話にちなみ、「三美神」と呼ばれました。
  • マリアの求愛者の一人は、彼女を「失礼で、近寄りがたい」と書いています。
  • ジョージアナ・バーン・ジョーンズは『エドワード・バーン・ジョーンズの思い出』という回想記を書いていますが、バーン・ジョーンズとマリアの駆落ちについては言及がありません。
  • 「欺かれたマーリン」はバーバラ・ヴァインの小説、『ソロモン王の絨毯』に登場します。
  • 映画、『17歳の肖像』には競売のシーンで「フィリスとデモフォーン」が顔を出していました。

2014年2月16日日曜日

ラファエル前派の画家とモデル 9.ジョージアナ・バーン・ジョーンズとマーガレット



Georgiana Burne-Jones (1840-1920)
スコットランドのジョージ・マクドナルド牧師(同姓同名の作家とは無関係)の娘として生まれる。15歳の時、兄の級友であったエドワード・バーン・ジョーンズと知り合い、婚約する。バーン・ジョーンズはオクスフォード大学で神学を専攻し、そこでウィリアム・モリスと出会った。モリス、バーン・ジョーンズはロセッティの影響により芸術を志すようになり、バーン・ジョーンズは大学を中退して画家となる決意をした。バーン・ジョーンズとジョージアナは1860年に結婚した。その後、バーン・ジョーンズはモデルのマリア・ザンバコと駆落ち騒動を起こすものの、最終的には妻の元へ戻った。ジョージアナはバーン・ジョーンズの回想記を執筆している。自身も多少の絵画をのこしているほか、モリスや作家、ジョージ・エリオットの良き友人でもあった。


Margaret Mackail (nee Burne-Jones, 1866-1953)
エドワード・バーン・ジョーンズとジョージアナの娘。オクスフォード大学の教授、W.M.マッケールと結婚した。3人の子供が生まれ、うち二人は作家になった。

【モデルをつとめた主な作品】
バーン・ジョーンズ「クララ・フォン・ボルク」テイト美術館、1860年
バーン・ジョーンズはマインハルトの詩、「魔女シドニア」に基づき、二枚の作品を描きました。一枚はロセッティの愛人、ファニー・コーンフォースがモデルとなった「シドニア・フォン・ボルク」で、もう一枚はシドニアの妹、クララを描いた本作です。マインホルトは、クララについて「知的で、勇気があり、誠実で、物静かな、親しみやすい性格であり、信仰深く、キリスト教徒らしい振舞をした」と書いています。バーン・ジョーンズは、ネコから遠ざけるために、手の中に鳩のヒナを描くことにより、クララのやさしい性格を描き出しました。ヒナを狙う黒猫はシドニアの使い魔であり、クララが姉の手により殺されることを暗示しています。出典
前面に静止した主役を大きく描き、背景に顔が判別できない、立ち働く侍女たちを描いているのが、ルネサンス的な表現であると思います。

バーン・ジョーンズ「緑の夏」1868年

ミレー「りんごの花」1859年
中央に座っている、孔雀の羽を持っている女性がジェーン・モリスで、後ろを向いて、頭に白い布を被り、読書しているのがジョージアナです。他に、ジョージアナの姉妹もモデルをつとめました。女性達が草の上に座り、テーマが季節であることから、J.E.ミレーの「りんごの花」を思わせる一枚ですが、バーン・ジョーンズの作品は古代風の衣装や、森のほの暗さなどが、神話的な雰囲気を生み出しています。

バーン・ジョーンズ「ジョージアナと子供たち」

バーン・ジョーンズ「マーガレット」

バーン・ジョーンズ「いばら姫」バスコット荘園、1890年
バーン・ジョーンズはグリム童話の一篇、「いばら姫」に取材した連作を描きました。いばら姫のモデルは、娘のマーガレットです。4枚で構成される連作は、一枚ごとにストーリーが進行する形式ではなく、同じ時点の別地点を描いています。それぞれの絵の下に、ウィリアム・モリスによる短い詩が書かれています。バーン・ジョーンズの描くマーガレットは、この世のものならぬ美しさ、かわいらしさで、バーン・ジョーンズにとって、お嬢さんはイバラと侍女たちに守られて眠るお姫様のような大切な存在だったのだろうか、と思います。
この作品に影響を受けたと思われる「いばら姫」

バーン・ジョーンズ「プシュケの結婚」ベルギー王室美術館、1895年

【その他】
アリス・キプリング

アグネス・ポインター

ルイーザ・ボールドウィン
  • ジョージアナはマクドナルド牧師の7人の娘たちの一人でした。夭逝した二人と、生涯未婚だった一人を除き、姉妹はそれぞれ著名人と結婚しました。ジョージアナの姉、アリスは、ラドヤード・キプリングの母となり、妹のアグネスは画家のエドワード・ポインターと結婚し、もう一人の妹のルイーザは実業家ボールドウィンの妻となり、息子はスタンリー・ボールドウィン首相です。
  •  マーガレットには子供が3人ありました。上の写真は、バーン・ジョーンズと孫たちです。おじいちゃんは、孫がイタズラをした罰として、壁に向かって立たされる間、罰を受ける苦しみが軽減されるようにと、壁に妖精、花、小鳥、うさぎなどを描いた、というエピソードがあります。出典