ラファエル前派の画家とモデル 7.アニー・ミラー


J.E.ミレー「アニー・ミラー」個人蔵、1854年

Annie Miller(1835-1925)
チェルシーに退役軍人の父と、掃除婦の母の子として生まれる。ウィリアム・ホルマン・ハントの注目を引いたときは居酒屋の女中だった。ハントはアニーを自分の理想の美人であるとみなし、レディとして教育しようと考えた。アニーと婚約し、パレスチナへの長期旅行の前に、留守中にアニーが教育を受けられるように手はずを調え、アニーが「モデルを勤めても良い画家のリスト」(J.E.ミレーは含まれていた)を作成して、渡した。しかし、これに反してアニーがロセッティその他の画家のモデルとなったため、ハントはロセッティと不仲となった。アニーは別の爵位を持つ男性と懇意になり、ハントとの婚約は解消された。トーマス・トムソン大佐と結婚後は、ラファエル前派とは疎遠となった。結婚生活は幸福で、90歳まで生きた。

【モデルとなった主な作品】

ホルマン・ハント「朝の祈り」1866年

ホルマン・ハント「シャロットの乙女」モクソン版『テニスン詩集』より

ホルマン・ハント「レディ・ゴダイヴァ」モクソン版『テニスン詩集』より

アニー・ミラーはラファエル前派の設立メンバーであったウィリアム・ホルマン・ハントに見出されましたが、恋愛関係でいざこざがあったため、ハントはアニーをモデルに描いていた「良心の目覚め」などの作品を後日、別人の顔に描き替えました。そのため、アニーを描いた油彩画は(おそらく)「朝の祈り」のみで、あとはラファエル前派の画家たちが共同で挿絵を描いたモクソン版『テニスン詩集』の「シャロットの乙女」と「レディ・ゴダイヴァ」のモデルがアニーであると言われています。ハントはアニーを描いたスケッチなども多くは破棄してしまったらしく、オンラインでは見つかりませんでした。『テニスン詩集』が出版された後にハントはアニーと決裂したので、描き替えたり、削除したりできなかったのです。(出典

ロセッティ「アニー・ミラー」

ロセッティ「トロイのヘレン」ハンブルク美術館、1863年

A.F.サンズ「トロイのヘレン」1867年ころ
モデルはアニーではありません

ロセッティがアニーをモデルに描いた金髪のトロイのヘレンは、ハリウッド女優のような華やかさです。背景は少し古代地中海地方らしいとはいえ、タイトルを知らなければ本作がトロイのヘレンを描いたとは分からない(そのことを示唆するようなものが描かれていない)のですが、金髪に緑の瞳の目の覚めるような美人で、インパクトの強い、ロセッティらしい作品であると思います。同じ主題のサンズの作品はロセッティが描いた4年後に描かれました。ロセッティの作品に似すぎているため、ロセッティとサンズの仲に緊張が生じました。

ロセッティ「ベアトリーチェが亡くなったときダンテが見た夢」テイト美術館、1856年
Wikipediaや、The Victorian Webによると、本作のモデルがアニーとのことです。ベアトリーチェのモデルはエリザベス・シダルと推測されるので、おそらく左側で布を持っている人のモデルがアニーではないかと思います。

J.E.ミレー「待機」バーミンガム美術館、1854年
モデルはミレー夫人のエフィーであるとも言われています。一見、田舎の風景の中の若い女性を描いたのどかな一枚に見えますが、当時は女性が戸外に一人でいることは適当でないとされ、また、不安定な姿勢で座っていることから、彼女は何らかの危機的状況にあるとも考えられました。石の壁は処女性を示唆する解釈することもでき、彼女は後ろの森の中に恋人と一緒に去っていく(駆落ち)する可能性があります。思わせぶりな作品です。出典

【その他】
  • アニーがハントの意図に反して、ロセッティやボイス(画家)のためにポーズを取ったり、レストランや公園に出かけたりしたので、ハントは怒り、「ゲイブリエル(ロセッティ)を決して許さない」と記しています。
  • エリザベス・シダルはロセッティとアニーの関係に嫉妬し、ロセッティが描いたアニーのスケッチを川に投げ捨てたとも言われています。出典
  • その美しさでラファエル前派内にトラブルを巻き起こしたアニーですが、本人は至って明るい、陽気な性格でした。描かれたアニーを見ると、ラファエル前派に好まれたような、「憂愁」とか「病弱」という印象がなく、陽性の性格が現れているように思います。

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