ラファエル前派の画家とモデル 8.ウォー姉妹


Fanny Hunt(nee Waugh,1833-1865)
ロンドン生まれ、父は裕福な薬剤師だった。1865年に、38歳のウィリアム・ホルマン・ハントと結婚した。翌年、出産の際に亡くなった。生まれた息子はシリル・ベノーニ(ヘブライ語で「悲しみの子」の意味)と名付けられた。


Edith Hunt(nee Waugh,1846-1931)
ファニーの死から9年後、W.H.ハントはファニーの妹、イーディスと結婚した。当時のイギリスの法律では、妻の姉妹との再婚は禁じられていたので、スイスで結婚した。二人の結婚にウォー家は憤り、ファニー、イーディスの別の姉妹と結婚した、ラファエル前派の彫刻家、トマス・ウールナーはこの件をきっかけにハントと訣別した。ハント夫妻の間には二人の子供が生まれた。

【モデルをつとめた主な作品】
ウィリアム・ホルマン・ハント「良心の目覚め」テイト美術館、1853年
ハントと結婚したファニーとイーディスのウォー姉妹は、ロセッティ夫人のエリザベス・シダルやミレー夫人のエフィーに比して地味な存在で、資料も乏しいです。しかし、ハントの代表作はファニーをモデルとした「良心の目覚め」であり、ラファエル前派が短く紹介される際でも、この一枚が取り上げられることが多いので、避けて通れません。アニー・ミラーの記事で言及しましたが、もともとハントはアニーをモデルとして本作を描いていました。アニーをモデルに描かれていた顔は、痛みと怖れに満ちた表情をしていたそうです。ハントは、アニーと別れた後、X線写真を撮っても元が分からないほど、顔を徹底的に消して、ファニー・ウォーの顔に描き替え、表情も変化しました。この作品は元来、読み解かれることを意図して描かれており、作品中には様々なシンボルがちりばめられています。

部屋が散らかり、家具調度品が新しく、けばけばしいものであることがから、愛人宅であることが分かります。ピアノを弾く男性の愛人である女性が、彼の演奏する、'Oft in Stilly Night'を聴いて、それが無垢な子供の頃に聴いた曲であることを思い出し、(堕落した生き方を改めようという)良心に目覚める、という場面を描いています。ヴィクトリア朝の女性は、人前に出るとき必ず髪の毛を結い上げ、衣服の下にコルセットを着けるならわしでした。描かれている女性は、結婚指輪をしておらず、髪の毛を垂らし、コルセットを着けない部屋着姿であることから、男性と愛人関係にあることが分かります。女性が見ている、窓の外から見える外の景色が鏡に映っていますが、これは彼女の失われた無垢を表しています。部屋に差し込んでいる日の光は、彼女の贖いが可能であることを示します。テーブルの下の猫が、翼の折れた小鳥を弄んでいるさまは、女性の苦境を示唆します。男性の外した手袋が床の上に投げ捨てられており、これは愛人を辞した女性の、ありそうな運命は娼婦となることであるという警告と取れます。また、もつれた毛糸は彼女がとらわれている罠の暗示です。本作の額もハントがデザインしており、そこにもシンボリックな模様が含まれています。鐘とマリーゴールドは警告と悲しみを表し、星は精神的な啓示を暗示しています。出典

ハント「甘美なる無為」フォーブス誌コレクション、1866年
The Victorian Webは本作を「ロセッティ的美人画のハント版」と説明しています。ロセッティが美人画を好んで描いたところ、ハントは聖書の主題を描くことが多く(そのために何度もパレスチナへ旅行したほどでした)、美人画メインの画家ではないので、そう書かれているのだと思います。本作を着手したときのモデルはアニーでしたが、後に髪の毛の部分はアニーのまま、顔部分はファニーへと変更されました。モデルが誰であるかは、作品のよしあしとは関係がないとはいえ、そういうことをされたら両モデルともあまり良い気分ではなかったのではないかと推測するのですが…そんなことはさておき、円形の鏡は、ファン・アイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」からの引用であり、鏡に暖炉の炎が映っていることから、一見したところ、観客を見ているかのようなこの女性が火を見つめていることが分かります。思索的、あるいは夢見がちな女性の、ヴィクトリア朝様式な表現であるといえます。同様の鏡は、ハントの「シャロットの乙女」にも見られます。

「イサベラとバジルの鉢」レーング美術館、1868年

「デカメロン」やジョン・キーツの詩、「イサベラとバジルの鉢」に取材しています。「イサベラとバジルの鉢」については以前書きました。ファニーは妊娠中でしたが、モデルをつとめました。官能性の強調、豊かな色遣い、念入りに描かれた装飾などは当時流行していた唯美主義を反映しています。なかなかエキゾチックなイサベラ像です。

「ファニー・ハント」個人蔵、1868年

「誕生日/イーディス・ハント」1868年
ハントが同時期に、二人の夫人を描いた肖像画です。ロセッティの描く美人は、写真と見比べると、似ていることは似ているものの、どの作品にも大なり小なりロセッティ好みの美人となるような変更が加えられているように思います。一方、ハントの描くウォー姉妹は、ファニーに関しては死後に写真を見ながら描いたそうなので、当然といえば当然ですが、写真にそっくりで、彼の観察の確かさをうかがわせます。アクセサリーやショールの豪華さが目を引きます。この色鮮やかな絵画は唯美主義的で、私にはオスカー・ワイルドの文章を連想させます。

【その他】
  • ミレーは人気肖像画家となってアカデミズムに傾倒していき、モデルのアニー・ミラーをめぐってハントと不仲になったロセッティも独自路線を歩むようになり、最後までラファエル前派的な芸術を貫いたのがハントでした。画面は鮮やかな色彩で緻密に描かれており、その細かさは実際に見ると、驚くほどです。 しかし、私個人の好みからするとハントの作品は一箇所たりとも「抜け」がなさすぎて、ちょっと暑苦しい感じがします。
  • ロセッティやミレー、バーン・ジョーンズの画集はそれぞれ数冊が出版されていますが、ハントの画集で手に入れやすいのは、画像48枚掲載のKindle版しかないようです。

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