【薄明かりの絵画】アカデミズム

【アカデミズム】
芸術アカデミーは16世紀にイタリアで創立され、フランスでは、17世紀半ばに彫刻・絵画アカデミーが創立されました。フランスの芸術アカデミーは、1816年に彫刻と絵画に加えて建築と音楽部門を統合しました(以後、「アカデミー」と記載する場合、絵画分野を指すことにします)。アカデミーの美術教育は、古典主義を理想としているところに特徴があり、ローマ賞は、ローマのフランス・アカデミーにて、学生がギリシアやローマの古典的芸術から吸収することを目的としていました。アカデミーにおける主な対立として
  • 17世紀 プッサン派(知性と線を重視) vs. ルーベンス派(感情と色を重視)
  • 19世紀初頭 新古典主義を手本とする派 vs. ロマン主義を手本とする派
  • 19世紀初頭 古典に学ぶべき派 vs. 自然観察重視派
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が挙げられます。19世紀の、フランス・アカデミズムの画家は、これらの様式の統合を目指しました。また、「夜明け」、「黄昏」、「感覚」等を裸体の人物により寓意的に描き、抽象的で観念的な「イデア」を表現しようとしました。歴史画は寓意表現に適していると考えられて、風景画や風俗画よりも上に見られていました(ジャンルのヒエラルキー)。このようなアカデミズムは、リアリズムや印象主義の芸術家から批判されました。
1855年、エルミタージュ美術館
 【ドラローシュ「若き殉教者」】
ポール・ドラローシュ(1797-1850)は、ドラクロワと親交を結んだ画家で、ジェリコーに奨励されました。義父は、ローマのフランス・アカデミーの学長の、オラース・ヴェルネです。ドラマチックな構図と、高い技法による歴史画で人気を得ました。絵画の劇的な効果を、歴史的な正確さよりも重視したため、必ずしも史実を忠実に再現しているわけではありません。悲劇的なシーンを特に好みました。本作は、ディオクレティアヌス帝治世のローマで迫害にあい、タイバー川に投げ込まれたキリスト教徒の若い女性を描いています。左上のおぼろな人影は、彼女の両親です。日没の光の中で、かすかに光る北の星は、神かキリストを暗示しています。若くして亡くなった、ドラローシュ夫人ルイーズ・ヴェルネへのオマージュの意味もあるようです。本作は「キリスト教のオフィーリア」と言われることがある、と読んだことがありますが、ちょっと出典を示すことができません。

カバネル「夕暮れの天使」1848年頃、ファーブル美術館

ジェローム「夜」1855年頃、オルセー美術館
ブーグロー「夜明け」バーミンガム美術館

ブーグロー「夜」ヒルウッド美術館

【夜明けや黄昏の寓意表現】
アレクサンドル・カバネル(1823-1889)、ジャン・レオン・ジェローム(1824-1904)、ウィリアム・アドルフ・ブーグロー(1825-1905)は、いずれも19世紀フランス、アカデミズムの画家であり、ローマ賞や、アカデミーの主催するサロンの展覧会で賞を得ています。アカデミー教授や、アカデミーの予備校であるアカデミー・ジュリアンの教授を務め、売れっ子画家でもありました。並べてみると、似た雰囲気と思います。夜明けや夜をテーマとしているにも関わらず、昼間のように明るい空の端の方に控えめに月や星が出ていて、空の様子や、日の出/日没の独特な光線を描くことではなく、それに託された女性の美しさを表現することに主眼が置かれています。アルフォンス・ミュシャはアール・ヌーヴォーの画家ですが、彼の寓意的な女性像は、アカデミズムの画家の表現に通じるものと思います。

ナルシス・ゲラン「アウローラとセパルス」1810年、ルーヴル美術館

シェフェール「ヒッポのアウグスティヌスと母モニカ」1846年、国立美術館、ロンドン
【ナルシス・ゲランとシェフェール】
個人的な好みを言うなら、オランダ出身で、パリでナルシス・ゲラン(1774-1833)に師事し、ロマン主義の流行をよそ目に独自路線を歩んで「冷たい古典主義」と評されるアリ・シェフェール(1795-1858)が好きです。磁器のような硬質な感じで、目を細めて遠くから見ると、わずかにシャヴァンヌのようだと思います。(ただ、好きな理由はヌードが少ないからでもあります)

イポリット・フランドラン「ピエタ」1848年、リヨン美術館 


アカデミズムの画家としては異色の作品です。キリストの傍らの黒い人影、背後の空模様と岩の様子など、象徴主義やシュールレアリスムを予感させるものだと思います。

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