【薄明かりの絵画】ナザレ派

【ナザレ派の概要】
ナザレ派は、ドイツ・ロマン主義の一つとみなされます。1809年に、ウィーン美術アカデミーの学生6人が、アカデミズムに反発し、中世の画家ギルドに倣って「聖ルカ兄弟団」を結成したことに始まります。翌年、6人のうちヨハン・フリードリヒ・オーファーベック、フランツ・プフォル(24歳で夭逝)、ルートヴィッヒ・フォーゲルらがローマに移りました。このグループに、ペーター・コルネリウス、フリードリッヒ・シャドウらが加わりました。ローマでは打ち捨てられた僧院で共同生活をし、中世のアトリエを再現しようとしました。しかし、1830年までに、オーファーベック以外のメンバー全員がドイツ語圏に戻り、解散しました。アカデミズムへの反発から発生したグループですが、ペーター・コルネリウスと、フリードリッヒ・シャドウはデュッセルドルフやミュンヘンのアカデミーの教授となり、ナザレ派はドイツのアカデミズムに浸透しました。

【特徴】
ナザレ派の絵画には、以下のような特徴が見られます。
  • 精神的な価値を表現した
  • 近年の芸術は、表面的で技巧的であるとして批判し、中世や初期ルネサンスにインスピレーションを求める
  • 宗教的主題を好んだ
  • フレスコ画により名声を得た
中世や初期ルネサンスにインスピレーションを求めた点は、フランスのリヨン派、イギリスのラファエル前派に通じます。

オーファーベック「オリーブの丘のキリスト」1833年頃、ハンブルク美術館
 【オーファーベック】
ヨハン・フリードリヒ・オーファーベック(1789-1869)は、ナザレ派の指導者的存在でした。他のメンバーがドイツ語圏へ戻ってからも60年間近くローマに住みました。キリスト教芸術の精神性が崩壊したと考えて、ラファエロ以前の初期ルネサンス、特にペルジーノやピントリッキオを手本としました。ラファエロにそっくりな聖母子像を描いています。イタリアの貴族や名士の館のフレスコ画を描き、古いフレスコ画の修復も行いました。

ラファエル前派と相通じると指摘されるナザレ派ですが、それは当時流行していた芸術様式への反発や、中世〜初期ルネサンスを理想としていた、という思想の上でのことであって、私は画風が似ているとは思いません。ラファエル前派のJ.E.ミレーや、W.H.ハントは「クワトロセント(中世後期〜初期ルネサンス)」様式を研究し、取り入れていたそうですが、作品は、ラファエル前派らしい、ユニークなものであって、「ルネサンスっぽい」と思ったことはありません。一方、キリスト教の主題を描いたナザレ派の作品は、言われないと「ルネサンス?」と思ってしまうものがあるほどで、両派のアプローチには違いがあると思います。

シャドウ「ミニョン」1828年、ライプツィヒ造形美術館
シャドウ「賢い乙女たちと愚かな乙女たち(部分)」1842年頃、シュテーデル美術館

【ナザレ派からアカデミズムへ】
と書いた端から、シャドウの「ミニヨン」はルネサンスよりもラファエル前派的な一枚と思います。フリードリッヒ・ヴィルヘルム・シャドウ(1789-1862)はベルリンに生まれ、ナザレ派に参加してローマへ行きました。ローマでは、オファーベックとともにフレスコ画の仕事もしましたが、1819年にはベルリン・アカデミーの教授に、26年にデュッセルドルフ・アカデミーの学長に就任しました。シャドウは、画家としてよりも教師として優れている、と言われます。1830,40年代に、シャドウの指導下、デュッセルドルフ・アカデミーに学んだ芸術家をデュッセルドルフ派といい、その数4,000人ほどにも及びます。アメリカからの留学生も多く、イーストマン・ジョンソンやウィリアム・モリス・ハントがおり、ハドソン川派にも大きな影響を与えました。ただし、その後自然主義が台頭し、その流れにより、59年には、シャドウは学長退任を余儀なくされました。デュッセルドルフ派は、細密に描かれた風景の中、宗教的・寓意的な主題を描いているのが特徴的です。

レオポルト・クペルヴィーザー「三賢者の旅」1825年
ヨーゼフ・ヘンペル「天国への階段(ヤコブの夢)」1855年

レオンハルトショフ「聖セシリアの死」1821年、ベルヴェデーレ美術館
【周辺の画家】
聖ルカ兄弟団を組織してローマの僧院に暮らした、オーファーベックを中心とする一連の画家をナザレ派と称しますが、その影響を受けたドイツ・オーストリア出身の画家が多くいます。

例えば、レオポルト・クペルヴィーザー(1796-1862)とヨーゼフ・ヘンペル(1800-71)はウィーンのアカデミーの学生で、アカデミズムに反発し、1824年にローマへ旅行しました。直接の交流の有無は不明ですが、ローマでナザレ派の影響を受けるようになりました。

「三賢者の旅」の色合いがどこまで実物に近いか分かりませんが、空の青い色が印象的です。ローマへ旅行した頃に描かれた作品のようです。クペルヴィーザーの後年の作品は、宗教画がほとんどです。幼児キリストが天使達とシーソーで遊んでいるがかわいらしいです。

ヨーゼフ・ヘンペルは、これまでにも何度か取り上げたヤコブの夢を題材としています。左右対称の階段や、遠くの方に淡い色彩で描かれている天使たちが、ルネサンス風だと思います。眠るヤコブと、夢の世界が切り離されていて、後者はほとんど陰影がなく、中央から強い光で照らしているかのようです。これも天上的な光の表現なのだろうと思います。

ヨハン・レオンハルトショフ(1795-1822)はウィーンのアカデミーに学び、ナザレ派の影響を受けました。イタリアに何度か旅行し、才能を認められてローマ教皇の肖像画を描いて友人たちから「小ラファエル」と仇名されるほどでしたが、肺結核に感染し、恋人にも捨てられて、27歳で亡くなりました。

なお、ナザレ派と、その影響を受けた画家を区別するため、最初の投稿から編集しております。ご指摘くださった方、ありがとうございました。

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