【薄明かりの絵画】イギリスのアカデミズムとクリック

レイノルズ「キューピッドとプシュケ」1789年頃、コートールド美術館

 【ジョシュア・レイノルズ卿】
イギリスのロイヤル・アカデミーは、ヨーロッパの他の国よりは遅く、1768年に創立されました。初代会長にジョシュア・レイノルズ(1723-92)が就任しました。レイノルズは、ヨーロッパ大陸の新古典主義のように、ルネサンス(特にラファエロ)から学ぶことを重視しました。歴史画を頂点とする、「ジャンルのヒエラルキー」の設定にも一役買ったようです。主席宮廷画家でもあり、アカデミーと古典主義の重鎮でしたから、アカデミズムの権化のようにいわれ、ウィリアム・ブレイクや、ラファエル前派(PRB、後日取り上げます)などからの批判の対象となり、今日でもその評価が尾を引いているようでもあります。ただ、美術館でレイノルズを見ると、穏やかで安定感があり、ジェーン・オースティンの小説世界を彷彿とさせるようでもあって、なかなかいいなと思います。19世紀半ば頃までにロイヤル・アカデミーの会長をつとめた人は、他にベンジャミン・ウェスト、トマス・ローレンス、M.A.シーがいますが、彼らの画風はレイノルズによく似ていて、初代会長レイノルズの影響の大きさが窺い知れます。

リチャード・ダッド「黄色い砂の方へおいでよ」1842年、個人蔵

【リチャード・ダッドとクリック】
クリックは、ロイヤル・アカデミーの学生だったリチャード・ダッドがウィリアム・パウエル・フリス、H.N.オニール、オーガスタス・エッグらと組織しました。アカデミーの懐古趣味的な伝統は、同時代の芸術に対する要請にそぐわないと考え、歴史画よりも風俗画を好みました。スケッチのクラブから出発したのですが、「芸術は、アカデミズムの理想ではなく、大衆により良し悪しを判断されるべきである」という理念の下、メンバーは同じ対象をスケッチして、絵の専門家以外に、どのスケッチが優れていると思うか、と尋ねました。ホガースや、デイヴィッド・ウィルキーを模範とし、ここにもレイノルズへの反発があったようです。反アカデミズムからスタートしたものの、リチャード・ダッド以外のメンバーは後に画家として成功し、ほとんどがアカデミーの会員となりました。

リチャード・ダッド(1817-86)は薬剤師の息子として誕生し、仲間内でも最も才能があるとみなされていましたが、1842年頃、妄想にとらわれ、暴力的になるなど人格が激変しました。父親が悪魔の化身であると信じて殺害し、国外逃亡を試み、その途上で別の人を殺そうとしたので、逮捕され、精神病院に入れられました。ここに至るとクリックは解散しました。入院中も絵を描き続けましたが、退院することなく、精神病院で生涯を終えました。ダッドの作品は、オリエンタリズムや、妖精を描いたものが多いです。細部が非常に微細に描かれていて、見ていると焦点が合わなくなってきます。日頃、作品を鑑賞しても製作者の人柄や性格などそうそう分かるものではないと思っているのですが、ダッドの作品からは狂気を感じざるを得ません。

「黄色い砂の方へおいでよ」はシェイクスピアの『テンペスト』に題材をとっています。影が赤いのは画像の問題かもしれませんが、大勢で踊りながら明るい方へと向かっているのに、楽しさよりも気味の悪さを覚えます。

フリス「ロイヤルアカデミーの内覧会、1881年」1883年、ロイヤルアカデミー

【PRBとの対立】
PRBが結成された1848年には、組織としてのクリックは解散していたものの、元メンバーのウィリアム・パウエル・フリスや、H.N.オニールは、PRBの絵画がエキセントリックで原始芸術的である、として厳しく批判しました。クリックと多少の接触があったディケンズも、J.E.ミレーの「両親の家のキリスト」を痛烈に批判しました。「ロイヤルアカデミーの内覧会」は薄明かりのテーマからは外れますが、クリックの絵画の例です。フリスは、このように100人ほどの人が集まっている場所の絵を得意としていたようです。本作には、リリー・ラングトリーやオスカー・ワイルド等、ヴィクトリア朝の有名人の姿も描きこまれています。

なお、クリックの理念は、1860年代にコールドロンらを中心とした「セント・ジョンズ・ウッド・クリック」 に承継されますが、こちらはPRBからの影響も強く受けました。

エッグ「過去と現在1『不運』」1858年、テート美術館

エッグ「過去と現在2『祈り』」1858年、テート美術館

エッグ「過去と現在3『絶望』」1858年、テート美術館

【エッグ「過去と現在」】
オーガスタス・エッグの「過去と現在」三部作は他のところでも何度が紹介しているので、いい加減しつこくてすみません、という感じなのですが、薄明かりの絵としても、ストーリー的にもおもしろいです。

1「不運」中産階級の夫人の不倫が発覚したシーン。芯が虫食いの半分に切ったリンゴ、崩れるトランプの家、壁に掛けられた楽園追放の絵、鏡に写った開いたドアが彼女の運命を暗示する。本作は、ウィリアム・ホルマン・ハントの「良心の目覚め」に着想を得ている。

2「祈り」1枚目でトランプで遊んでいた少女たちの、母親が家を追い出されてから数年後、姉妹は父親をもうしなった。1枚目に描かれているのと同じ、両親の肖像画が壁に掛けられている。

3.「絶望」2枚目と同じ日時、追い出されて橋の下にいる母親。不倫の子を抱いている(既に死んでいるかもしれない)。頭上の壁には、不幸な結婚をテーマとした芝居のポスターが張ってある。

オーガスタス・エッグはクリックのメンバーとしては例外的に、ラファエル前派を賞賛し、ハントと親交を結びました。ディケンズとも親しく、ディケンズの文学に倣い、道徳的・社会批判的な絵画を描いています。

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